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日めくり汀女俳句 №96 [ことだま五七五]

十月十二日~十月十四日

  俳句  中村汀女・文  中村一枝

十月十二日
まなかひに来れる霧に小さき子よ
           『汀女句集』 霧=秋

 避暑地にきてまでも、とつい口をとがらせたくなるゴミの処理。生活の簡素化を心がけているつもりなのに、これまたよくたまる。
 ゴミが生活の中心に居座るようになったのはここ十年くらいのこと。過剰包装と言われ続けてそれも変わらない。ゴミの急成長は、高度成長と関係があるそうだが、生活が豊かになってきて増えてきたものは、少年非行から神経症まで数え切れない。
 裸電球の下で一汁一菜つついていたころはゴミはほんの生活の一隅だった。ゴミは人間
の層そのものだなとふと思う。

十月十三日
月明のふとさびしさよ木槿垣(むくげがき)
         『都鳥』 月明り=秋 木槿=秋

 昔、時計はネジを巻くものだった。今ほとんどが電池、うっかり切れると不便この上ない。
 この夏、山の別荘で時計の電池が切れた時はつくづく便利の不便を身にしみた。子供の時の記憶だが、私の父は時計が好きだった。他のことには無頓着そのものの男が、時計の銘柄品に結構入れ揚げていた。ロンジン、オメガ、ウオルサム、父がそういう時計の名を口にすると、その時だけ父がハイカラな紳士になった。銀座の村松時計店がお気に入りで「おいお前に何か買ってやるぞ」。赤いルビーの指輪はその時の収穫である。

十月十四日
数珠玉(じゅずだま)や覚えの径(みち)もいつか消え
            『薔薇粧ふ』 数珠玉=秋

 長い歴史を誇っていた「アサヒグラフ」が廃刊になったという。夫は学生時代、今から半世紀前「アサヒグラフ」でアルバイトをしていた。当時の名編集長が、劇作家飯沢匡氏である。汀女は飯沢氏とは面識があったらしくその縁であった。
 結婚してしばらくした頃、汀女から敷布を三枚渡された。これを持って飯沢先生の所に挨拶に行ってきなさい、と言うのである。夫はその手のことが大嫌い。私もまたそういう習慣に無頓着であった。行きます、行きますと生返事。いつか年がたち、押し入れから変色した敷布が出てきた。

『日めくり汀女俳句』 邑書林


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