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エラワン哀歌 №16 [文芸美術の森]

寒河江(さがえ)川

       詩人  志田道子

 寒河江という名の川を渡ろう
 曇天のもと 雲間を零れる光の滴が
 川面に跳ね返るのを見るのもいいだろう
 むっと蒸し暑い盆のころには
 孤独を嘆く心の隙間も
 みんなふやけた皮膚に埋もれて
 見えなくなって
 しまっているにちがいないから

 天の川を渡る無数の鳥たちを
 呼び止めてみようか
 こんなとき
 彼らがまだ一羽一羽の自分の名前を
 覚えているあいだに
 熱く踊る未来を追い求める瞳を
 閉じてしまってはいないうちに

 四カ月の孤独な戦いの果て
 やっと呼吸器が取り外されて
 ばつと口を開いて
 開かれた口の周りだけ
 どす黒くして
 もう二度と閉まらなくなってしまった口から
 放たれるべき言葉が行き場を失って
 まだ漂っているあいだに
 一緒に 寒河江という名の川を渡ろう

   おにいちゃん! 大丈夫だからね!と

 迫りくる劫火を前にあなたの額をさすった
 あのひとの指のぬくもりを
 あなたがまだ覚えているうちに

*二〇一四年七月仏文学者蟻川譲が八十九歳で亡くなった。夫人の吉永春子が、青年の頃から連れ添った夫君の遺体に焼却窯の前で語り掛けた「お兄ちゃん」の言葉が忘れられない。TV報道番組ディレクターだった春子夫人は二〇一六年十一月没。

『エラワン哀歌』 土曜美術出版社販売


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