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海の見る夢 №21 [雑木林の四季]

                海の見る夢
         -晴れた日に永遠が見えるー
                澁澤京子

 人の思考は川の流れに似ている。狭くて浅く、ところどころにひっかかっているものがあって澱みの多い川もあれば、浮遊物もひっかかりもあるが川幅が広いので何事もないように流れる川あり、ちょろちょろ流れる浅い川もあれば、すごいスピードで奔流する川あり・・賢人の思考は、悠々と流れる川幅の広くて深い川に似ているんじゃないかと思う。頭がいい人ほどサラサラと澱みなく思考が流れているような気がするし、優秀な人ほど包容力があるのは、川が深いせいだろう。
坐禅は、思考の川の引っかかりや、浮遊物を除去する効果が少しはあるのだろうか・・というような事を考えながら、区役所の出張所まで来ると11時にならないと開かないという。30分ほど、そのフロアで時間をつぶすことにした。

ここは渋谷のビルの8階。大きなガラスの向こうには渋谷の上空の晴れた冬空が見える。
私はガラス窓の前のベンチに腰かけた。隣にはお爺さんが坐っていて、独りでしゃべっている。お爺さんは誰かに電話しているのではなく、街でときどき見かける「独りで喋る人」だった。

「・・やっと、それで整理がつきましたよ・・ワッハッハ」お爺さんの空笑いが静かなビルのフロアに響く。何だか楽しそうに独りで喋って笑っているお爺さん。身なりは割合きちんとしているので奥さんがいるのだろう・・奥さんにうっとうしがられ、家に居場所もなく、このビルにやってきたのかもしれない。

考えてみると、人の話を聞かない、思い込みが先行する、自分の話ばかり・・など、相手がいるのにモノローグ的な語りをうっかりしてしまうことってあるではないか・・私も、気が付いてみたら対話ではなく、実はモノローグだった、ということが時折ある。

そう、人は年取って孤独になるわけじゃなく、最初から孤独なのだ。

お爺さんは定年退職してだいぶたつ、「毎日が日曜日」の人だろう。「毎日が日曜日」って確か、誰かの小説のタイトルだった。私は子供の時から「毎日が日曜日」のような、ぼーっとして何もしない時間というものが好きだ。何もしないでいると、(自分の時間)という贅沢な感じがしてとても好きなのだ。

「役に立つ・立たない」とか「ギブアンドテイク」という言葉が嫌いで、若い時はじめて『エックハルト説教集』で、祈りは天に宝を積むためじゃなく、祈りは、まさに祈りのためにある場合のみ純粋である・・という内容のものを読んですごく納得したことがあった。エックハルトによると、イエスが、神殿前の商売人たちを怒って蹴散らしたのは、(祈りで神と取引や交換をするな)という事なのだそうだ。「なにもしない時間」も同じで、私たちが目的を持たないで過ごす時間、その時間が何ものにも交換できない無駄であるからこそ、それは純粋で贅沢なものになる・・

存在そのものが、すでに祝福されたものであることに気が付くこと。

ガラス窓から見える、空や雲。日常的な意味や思惑が、頭からスコンと抜けた拍子に、自然は初めてその本来の豊穣さと美しさ、私たちとの真のつながりと、驚くような親しさをかいま見せてくれるのだと思う。

お爺さんは見えない仕事仲間?か友人に向かって延々と話し続ける。話し方の調子から、人懐っこい人らしいことがわかる。しきりに笑う所を見ると陽気な性格か?そういえば「独りで喋る人」の中でも、見えない誰かに向かってしきりに怒る人がいて、「独りで怒る人」は比較的おばさんなど、女性にも多く見かけるような気がする。

お爺さんは喋るのをやめると、片手で折りたたみ式の杖をカチャっと伸ばし、それにすがって一生懸命に立ち上がろうとしている。年取るということは、次の動作にかかるのにいちいち時間がかかるということだ・・頑張れ、お爺さん。お爺さんはヨロヨロと立ち上がると杖にすがり脚を引きずるようにして歩き始め、やがて私の視界から消えていった。

大きなガラスの向こうには、透明な冬の陽の光が、遥か下の渋谷の街に燦々と降り注いている。なんだか哀しいほど美しい。お爺さんの、誰にも届かない賑やかなお喋りは、透明な陽の光に吸収されてシャボン玉のように消えてしまった。




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