SSブログ

日本の原風景を読む №39 [文化としての「環境日本学」]

人と環境が織り成す懐かしい風景-飯山

  早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

自然と歴史がともに築いてきた景色

 奥信濃・飯山、寺の町の風景は、自然のたたずまい、人の営み、文化の伝統が一つになって、本物の「環境」とは何か、を一瞬にして気づかせてくれる。
 飯山は「環境の原風景」を今に伝える懐かしい街である。千曲川に沿い河岸段丘を走るJR飯山線の車窓に、黄金色に波打つ棚田が迫る。柳やヤチダモの河畔林を深々とまとい、紅のリンゴ林を点綴させる表情豊かな風景は、小諸へ到らずとも島崎藤村のみずみずしい「千曲川旅情の歌」の風景を思わせる。
 歌い継がれてきた唱歌「朧月夜」の生誕の地「菜の花の丘」に立とう。
 水面を光らす眼下の千曲川を経て、南から北へ飯縄(一九一七メートル)、戸隠(一九一一メートル)、黒姫(二〇五三メートル)、妙高(二四望ハメートル)が雄大な稜線を連ねる。神と仏の教えを合わせて日本文化の源流を培ってきた修験道の本場である。
 歴史と信仰の伝統は、日本を代表する仏壇産業を飯山にもたらした。名うての豪雪に抗して築かれた愛宕町雁木通りには、豪勢な構えの仏壊・仏具店が連なる。木地師、蒔絵師、金具師、宮殿師、彫刻師が創造してきた日本文化の華である。百年を経て古びても、飯山仏壇は部品ごとに分解し、洗浄され、装いを新たにすることができる。仏壇通りを挟んで丘の麓には島崎藤村の『破戒』の舞台「蓮華寺」のモデル真宗寺や、飯山城主の菩提寺で、川中島合戦のヒーロー、槍の名人、鬼小島が眠る英岩寺などの名刺が連なる。
 「菜の花の丘」の背後間近から、福島新田の棚田が稲穂の黄金色の雪崩となって迫る。
 急斜面を大人の背丈ほどの高さにきっちりと刻み、石積みされた棚田は、凡帳面で郷土愛の強い長野県民気質のあらわれと言われる。桐の花が咲く五月、地元東小学校の児童は総田で棚田に苗を植える。

『阿弥陀堂だより』が求めた飯山

 棚田接する万仏山(一二七二メートル〕の山腹に、古びた藁葺き小屋が。映画『阿弥陀堂だより』で北林谷栄さんが演じる、仏と神と人間とを結ぶおうめ婆さんの住み家となった。都会暮らしで傷つき、疲れた人の心の回復の物語にふさわしいロケ地を探しあぐねていた小泉尭史監督は、福島新田を訪れその風景に触れ即断したと伝えられる。
 「信州の山奥は奥が深い、どこまで行っても律儀な信州人の跡が存在し、それがまた、ただの自然そのものよりも人の心に訴える懐かしい風景として目に映るのである。誰もが無意識のうちに持っている人間としての基本的な暮らし方の理想。そういったものが信州の田舎には色濃く保存されている」 (『阿弥陀堂だより』の原作者南木佳士)。
 阿弥陀堂の縁側から「環境の原風景地」飯山の遠景、中最、近景が一望できる。
 それは森と水の「自然環境」に支えられた暮らしが培う確かな「人間環境」、自然・人間環境の上に築かれ現代に伝えられ、息づく「文化環境」に他ならない。
 菜の花畠に 入日薄れ
 見わたす山の端 霞ふかし
 春風そよふく 空を見れば
 夕月かかりて におい淡し
 
 里わの火影(ほかげ)も 森の色も
 田中の小路を たどる人も
 蛙(かわず)のなくねも かねの音も
 さながら霞める 鹿月夜  (高野辰之 「臓月夜」)
 飯山の風景を訪ね歩くとき、心は深く憩い、懐かしさがこみあげてくる。

心を清める正受庵とブナ林

 飯山市民の心の背骨は正受庵(しょうじゅあん)・慧端禅師、市民の暮らしを支える水の源は、鍋倉山(一二八八メートル)の一帯四〇〇ヘクタールをおおうブナの天然林だ。
 正受庵は三三〇年の昔、松代藩主真田信之の子で、藩きっての剣の使い手であった慧端禅師の禅室である。飯山城主が寺領と大寺建立を申し出たおりに、慧端禅師は「出家は三衣一鉢あれば足りる。他は一切無用」と断り、一個の水石と一本の棟の木を求めた。正受庵の軒の下には水石が、庭先には礫の木が禅師の志を伝え、今も凛としてたたずむ。
 臨済宗中興の祖白隠はその弟子である。正受庵は明治政府の廃仏毀釈令により、明治七年廃寺となった。しかし幕末・明治の政治家で剣の使い手として知られた山岡鉄舟が正受庵復興を試み、「正受庵復興願文」で全国に呼びかけ、臨済宗が今日の形に復興した。
 「ブナ山に水筒いらず」のたとえどおり、広大なブナ林は飯山市民のいのちを支える緑のダムである。芽吹きの五月から紅葉の十一月まで森歩きを楽しめる。森の癒しを体験できる「森林浴」の効果あり、と日本で最初の「森林セラピー基地」に林野庁から認定されている。

『日本の「原風景」を読む』 藤原書店


nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。