論語 №133 [心の小径]
四二一 孔子いわく、益者(えきしゃ)三友(さんゆう)。損者(そんしゃ)三友。直を友とし、諒(りょう)を友とし、多聞を友とするは、益なり。便辟(べんぺき)を友とし、善柔を友とし、便佞(べんねい)を友とするは、損なり。
法学者 穂積重遠
孔子の申すよう、「益友が三種類、損友が三種類あります。直言して隠すところなき者を友とし、信実にして裏表なき者を友とし、博学多識な者を友とするのは、益であります。体裁ばかり飾って率直でない者を友とし、顔つきだけをよくするへつらい者を友とし、口先ばかりで腹のない者を友とするのは、損であります。」
四二二 孔子いわく、益者三楽(さんらく)。損者三楽。礼楽を節するを楽しみ、人の善を遣うを楽しみ、賢友の多きを楽しむは、益なり。騎楽を楽しみ、佚遊(いつゆう)を楽しみ、宴楽を楽しむは、損なり。
本章の「楽」の音は「がう」、訓は「このむ」とするのが通説のようだが、さように凝るにも及ぶまい。「らく」「たのしむ」でけっこうだ。
孔子の申すよう、「有益な楽しみが三つ、有害な楽しみが三つあります。礼儀音楽をほどよく実行実演するのを楽しみ、人の善言善行をうわさすることを楽しみ、賢い友人の多いことを楽しむのは、有益な楽しみであります。我がままかってを楽しみ、なまけ遊ぶことを楽しみ、宴会遊興を楽しむのは、有害な楽しみであります。」
右の中で今日特に心がけたいのは「人の善を道(い)うを楽しむ」こと、すなわち「人の美を成す」(二九四)ことだ。とかく人のアラを拾うことを楽しむのは困ったものだ。
四二三 孔子いわく、君子に侍するに三愆(さんけん)あり。言未だこれに及ばずして貫う、これを躁(そう)と謂う。言これに及びて音わざる、これを隠(いん)と謂う。未だ顔色(がんしょく)を見ずして言う、これを瞽(こ)と計う。
本章で「君子」とは、地位なり年齢なりで「目上の人」の意味。「躁」は「軽躁」「さわがしい」「そそっかしい」。「隠」は「隠険」。「瞽」は「盲人」。ここでは「目先が見えぬ」「気がさ
かぬ」。
孔子の申すよう、「目上の人の前に出たとき犯しやすい三つの過失があります。先方から言葉のないうちにズケズケ物を言うのを、『さしでがましい』と申します。言葉があったのにだまっているのを、『へだてがましい』と申します。先方の顔色もうかがわずに口をきくのを、『みさかいがない』と申します。」
「顔色を見る」というのは、鼻息をうかがう意味ではない。その場の兄はからいをすることだ。
『新訳論語』 講談社学術文庫
『新訳論語』 講談社学術文庫
2021-12-12 19:11
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