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現代の生老病死 №8 [心の小径]

現代の病

       立川市・光西寺  寿台順誠

(2)現代の病苦-病と付き合う時間が長くなる苦、医療によって病が生みだされる苦
 さて、以上のように延命治療は打ち切られる傾向にあるとはいえ、病が慢性化し生活習慣病化したことによって、現代人は延々と続く病のプロセスを経なければならないのは事実であります。それで、そうした「現代の病苦」とは一体どういうものかと言うと、先ずはとにかく「病と付き合わなければならない時間が長くなる苦しみ」があると思います。
 かつては「痛」と言われたらそれは「死の宣告」に等しかったと思うのですが、今はそうでもなくなってきましたね。私が住職を務める光西寺の門徒さんで、しばらく前に90歳を超えて亡くなった人ですが、リタイア後に4回も癌の手術を受け、胃を取り、食道を切り、片肺を切り、そして皮膚癌もやって、それでいて毎年行っている光西寺の研修旅行に何年間か参加し、いつも一番先頭を元気に歩いて行って、夜は結構お酒も飲むという方がおられました。実は光西寺の研修旅行の常連には、そのような形で癌の手術を受けられた方が何人もおられます。
 そこで一つ映画を紹介しておきたいのですが、それは2011年の『50/50フイフティフイフティ』というアメリカ映画(ジョナサン・レヴイン監督)です。従来の癌を題材にした映画というと、古典的には黒澤明監督の『生きる』(1952年)がありますが、そうした映画は主人公が癌であることが分かってから数か月ぐらいで死ぬというストーリーが定番だったと思います。『生きる』を最初に見た時には本当に感動したのですが、しかしこの種の映画は『生きる』だけ見ておけばもう十分で、あとはほとんどお涙頂戴的なものにしかなっていないと私は思いますし、癌になってちょうどよい頃合いで死ぬというストーリーでは、もう現在の病の実態には合っていないとも思われるのです。
 その点、『50/50フイフティフイフティ』は違います。この映画では、27歳の酒もタバコもやらない男性が腰の痛みを感じて受診したところ、「脊髄癌」(悪性神経鞘腫)という診断を受け、5年生存率は「フイフティフイフティ」(50%)だと言われます。この映画はインフォームド・コンセントのあり方等についても非常に考えさせるところがありながら、コメディタッチの部分もあって非常に楽しく見ることの出来る映画でもあります。診断を受けた主人公に対して友が、「フイフティフイフティだって?カジノなら最高だぜ!」(スリリングでいいじやないか!)と言って、勇気づける場面などもあります。この映画は、最後は主人公の手術も成功して、今後も生きるという希望を描いて終わっていますが、しかし考えてみますと、現代というのは皆そのように「フイフティフイフティ」の中で、生きるか死ぬか分からない時間が長く続く苦を抱えて生きざるを得ない時代なのではないかと思うのです。
 それからもう一つ、生活習慣病という概念が何を生み出したのかというと、それは「医原病」(iatrogenesis,iatrogenic disease)だと思います(11)。つまり、「現代の病苦」にはむしろ「医療によって病が生みだされる苦しみ」もあると言えるのではないかと思うのです。従来は病気だと見られていなかったものが「病気」だとされ、治療が必要だということになることは「医療化」(medicalization)の一つですが、この傾向を示すものとしては、例えばヘビ-スモーカーを「ニコチン依存症」、酒癖の悪い人を「アルコール依存症」等、現代の非常に多くの病が挙げられます。確かに反対に、従来は病だと考えられていたものがそうではないと認められるようになったものとして、マスターベーシヨンや同性愛等があり、この傾向を「脱医療化」(demedicalization)と言いますが、しかし現代において圧倒的に優勢なのは「医療化」の傾向で、単なる人の癖や性格が「病気」にされてしまうベクトルの方がはるかに強いのです(12)。そしてその中で、「人のために医療がある」というよりは、まるで「医療のために人がある」というが如き皮肉な逆転が起こっているのではないかと思われます。これについては、「健康のためなら死んでもよい」などという冗談話も引き合いに出されることがありますね。
 このように生活習慣病というのは、単なる習慣が病気になってしまう訳ですから、かえって苦しみを生み出していると言えるのではないでしょうか。但し、生活習慣病に対する批判の多くは、それが「医療化」の方向に使われることに対する批判であって、もしそれが「脱医療化」の方向で使われるのであれば、悪いことではないと私は思います。例えば、すぐに「うつ病」など精神疾患だと認定して薬漬けにするのは問題だと思いますが、睡眠等の生活習慣を見直しましようということであれば、生活習慣病という言い方も一概に否定するものでもないと思いますので、その点は見極めが必要だと思います(13)。が、いずれにせよ、「感染症から生活習慣病へ」「急性病から慢性病へ」と言われる中での「現代の病苦」としては、以上のように「病と付き合う時間が長くなる苦」「医療によって病が生みだされる苦」が挙げられると思う次第です。

(11)医原病については、イヴァン・イリッチ(金子嗣郎訳)『脱病院化社会-医療の限界-』晶文社,1979〕); 近藤誠『医原病-「医療信仰」が病気をつくりだしている-』講談社,2000等参照.
(12)医療化の問題については、安藤太郎「P.Conradの医療化論の検討」『保健医療社会学論集』10,1999;志水洋人「医療化論の動向-逸脱行動の医療化から疾患概念の拡大へ-」『年報人間科学』35,2014;細見博志「健康と病気-「逸脱」としての病気と拡大する「医療化」-」『言語文化論叢』19,2015;三澤仁平「医療化論のゆくえ」『応用社会学研究』57,2015;ピーター・コンラツド、ジョゼフ・Wシュナイダー(進藤雄三郎監訳・杉田聡・近藤正英訳)『逸脱と医療化-悪から病いへ-』ミネルヴァ書房、2003等参照.
(13)これについては、井原裕『生活習慣病としてのうつ病』弘文堂,2013参照.

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より


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