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日本の原風景を読む №37 [文化としての「環境日本学」]

5 里山―懐かしい里山を訪ねる 1

   早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

 以前にどこかで見かけた風景を、今再び眼前にしているような「既視感」を私たちはしばしば覚える。旅路の風景に見る既視感は、その風景が各地に散在している類似の風景によってもたらされることが少なくない。日本人によって共有されている原風景ともいえよう。
 四季の車窓に映える稲田の彩り、穏やかな集落のたたずまいなどはその「既視感」をもたらす風景の例であろう。
 どこにでもありそうで「そこ」にしかない風景への共感は、親しさと懐かしさによるところが大きい。「ふる里」や「浜辺の歌」を愛唱する人々の心の風景を、私たちは共有しているのだ。
 私たちは風景に「風土」を視ている。
 風土とは気候と地形に人が働きかけて作り成した物理的な景観を基に、そこで培われた無形の文化の営みを重ね合わせて表現される。風土は人々が自己の独自性(アイデンティティ)を確認する場ともなる。アメリカの若者たちが休暇に大挙してヨーロッパを旅する現象は、そのルーツを訪ねる姿でもある。
 飯山、三春、上田、秋田角館、伊豆湯ケ島、新潟十日町の風景の、その地域独自の、しかし訪問者にも親しさと懐かしさをもたらす「風土」が明快に表現されている場所を紹介する。
 飯山は山岳信仰、修験道の道場となった飯縄、戸隠、黒姫、妙高の稜線のつらなりを遥かに望み、街中を千曲川が流れる。市の水源は山腹の深いブナの森に発する。木の根元は、冬の積雪の重さでくの字に曲がっている。
 山岳を遠景、ブナ森を中継、千曲川を謹啓とするのびやかで、均衡のとれた風景は、見る者を永遠なものへの思考にいざなう。奥羽縄文の里、田沢湖の夕景もまた、遠望する雪の乳頭山とあいまって、いにしえの人々の暮らしへの想像を刺激する。
 三春と角館は桜、上田は城、伊豆湯ケ島は名湯、十日町は棚田で名高い。自然と人間の秘められた物語に私たちは共感を覚える。そこで培われ、表現されている独自の文化(暮らしの流儀)が、訪れる人々の心にひびき、共感を分かち合えるからであろう。
 これらの土地には自然・人間・文化の環境の三要素が本来の姿で保たれ、懐かしさと深い安らぎ感をもたらしている。ふる里の原風景といえようか。

棚田に刻まれた先人の営み-十日町 1

魚沼産コシヒカリの里
 有数の豪雪の地、新潟県十日町(人口約六一〇〇人)は名高い「魚沼産コシヒカリ」の主産地である。信濃川に沿い山あいを縫うJR飯山線が、雄大な河岸段丘に達するところに十日町の街並みが広がる。信濃川の流れによって刻まれた段丘での農耕は、等高線にそって田畑を区画する「棚田」で営まれてきた。標高が高くなるにつれて地形は急峻、複雑になり、棚田は様々な形を描く。十日町・魚沼産コシヒカリの多くは、このような山腹に刻まれた棚田で作られる。昼と夜の気温差が大きくリン酸、ケイ酸を多く含む土壌が、イネの成熟度を高める。
 積み上げられてきた品種改良、栽培技術向上への努力、そして消費者から日本一の食味と評価され高値のつくことが、この地に産する「棚田ロマン」米の作り手の意欲を支えてきたといえよう。しかし棚田でのおいしいコメ作りは、担い手の不足と高齢化、農作業の困難さから、今までのやり方では作り続けることがむずかしくなりつつある。
 河岸段丘を登りつめ、分水嶺を越えて山地に深く分け入った松代、松之山では、農地はすべて棚田である。ひと冬の降雪量が二一メートル八九センチを記録したこともある日本一の豪雪の地、東頸城(くびき)丘陵を間近に望む松之山に、稲作農家の田中麿さんを「グリーンハウス里美」に訪ねた。新潟県初のグリーンツーリズムの農業体験宿舎である。米国人を交えた、家族連れの宿泊客で賑わっていた。

[日本の「原風景」を読む~危機の時代に』 藤原書店


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