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浜田山通信 №292 [雑木林の四季]

民主主義と投票率

     ジャーナリスト  野村勝美

 民主主義は選挙である。投票率は民主主義のバロメーターだ。だから私は、選挙の家結果より投票率を気にしている。
 今回の総選挙は与野党伯仲しているはずだ。逆転まではいかなくとも、接戦になることはまちがいないと私は思っている。それは投票率の上昇をともなっている。日本の民主主義もそこまで来ているに違いない。
 選挙の投票は当たり前のことと有権者は思っているが、女性に選挙権が与えられたのはもちろん戦後のことであり、それもマッカーサー司令部によってである。戦いとったものではない。
 敗戦が好結果をともなったのだから、占領されたことは私たちにとってもよかったのだ。私は敗戦の年に16歳になったばかりだからまだ投票権がない。20歳になって最初の選挙が何であり、どこの誰に投票したかも全然覚えていない。あるいはその当時共産党の周りをうろちょろしていたからこんなブルジョワ選挙より革命だなどと毎日のようにあったデモ行進に参加していたのかもしれない。それでも何とか選挙にだけは行っていたように思う。選挙の投票行動こそ民主主義の基本といま考えるように思って投票したのではないだろう。なんとなく投票権があるのだからと思ってのことだった。
  民主主義はいまや何ものにも代えがたい大切なものだ。自由と民主主義の二つを党名にしている自由民主党=自民党は、現代社会のいいとこどりをして、立憲民主党という一般人にはすぐ理解できない、ひとりよがりの党名の政党はなかなか追いつけないのではないか。一時期、鳩山由紀夫氏が祖父のかかげたこの三つのスローガンを持って首相になった。私はいいぞと思ってみていたが、仲間のなかに権力をもっていい気分になったのが出てだめになった。
 しかし何はともあれ民主主義は選挙である。投票率である。なかでも投票率だ。投票率が上がれば上がるほど民主主義が勝利したことになる。だから私はこのところずっと投票率に注目している。前回2017年の衆院選の投票率は54%、その前は53%。有権者の半分強である。今回は少しは上がるだろうが、大した違いはないだろう。この数字ではもはや民主主義とは言えない。自ら戦いとった数字ではないのだからこんなものもかのしれない。しかし少なくとも投票率が80%までいかなければ健全な民主主義とはいえないと思う。
 民主主義は何物にも代えがたい政治形態である。世界の政治状況をみてもそう思う。投票率が上がることは即政治がよくなることだ。有権者が自覚し、皆が投票に行こう。せっかくの権利を放棄して政治に文句を言っても始まらない。民主主義の実践は、何よりも皆が投票することから始まる。選挙運動はメディアも含めて低調だったが、いまががんばりどころだ。(10月27日付)


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