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日めくり汀女俳句 №88 [ことだま五七五]

九月十八日~九月二十日

   俳句  中村汀女・文  中村一枝

九月十八日
澄む水にひびきて祭太鼓かな
         『紅白梅』 水澄む=秋

 オリンピックなんかどうでもいいと内心思っている。開催する国も参加する方もスボーッの祭典、スポーツの一大イベントと言いながら本書は国益。そういう裏がみえみえなので、笛や太鼓におどらされたくはないのだが、始まると、にわか仕立てのナショナリストになる所がいまいましい。参加することに意義とか、勝敗は時の運とか言うけれど、結局は勝ったか、負けたかの二つしかない。
 長野オリンピックを思い出しても、少しずつ熟してきたものが最後には興奮の嵐、これがスポーツだからいいのだが。

九月十九日
かくれ住むとて秋蝉の町の上
         『紅白梅』 秋の蝉=秋

 最近の都会の売家は、二十二坪の土地に三十二坪の家なんてのはざら。隣との境界などぎりぎり。土地の狭いのを補うようにどの家も外観や付帯設備に神経を使い、一頃の建て売りのイメージはない。一見、別荘と見紛うお酒蕗で高級な外観、床暖房も当然だ。数千万円という高額でも人が入る。家を買うより環境を買うのも大きいのよと友人が言った。
「ここそんなに環境いいの」。
 広告のチラシに出ていた文句。文士の子女も通学した小学校も至近距離の典雅な環境。
 かつての貧乏文士たちの苦笑した顔が目に浮かぶ。

九月二十日
おのづから吾亦紅(われもこう)また紅失す
         『芽木威あり』 吾亦紅=秋

 九月二十日は汀女の祥月命日。昭和六十三年に世を去っている。八十八歳。二十世紀の幕開けに生をうけ、昭和の終わりに世を去る。出処進退の鮮やかなこと。死因は呼吸不全。
 頭脳明噺なことは最後まで変わらなかった。「何か持っていけ。もう、帰りなさい」の気配りも。終わりの頃は「疲れた」とか「もういい、もういい」。自分の死後とか、こうして欲しいといったたぐいのことはいっさい言わなかった。時がくれば自然に消えることを自明の理としていたような。

『日めくり汀女俳句』 邑書林


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