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論語 №125 [心の小径]

三九一 子のたまわく、これを如何、これを如何、といわざる者は、われこれを如何ともするなきのみ。

          法学者  穂積重遠

 孔子様がおっしゃるよう、「どうしよう、どうしよう、と言わないやつは、どうしようもないわい。」

 『論語』中最も簡単で最も痛烈な言葉と申したい。前の「啓発」の章(一五五)の結論である。

三九二 子のたまわく、羣居(くんきょ)終日、言義に及ばず、好んで小慧(しょうけい)を行う。難(かた)いかな。

 孔子様がおっしゃるよう、「日がな一日寄りこぞっていながら、話題が一度も道徳問題に触れず、鼻先の小才覚(こさいかく)ばかりを得意がるとは、やっかいなことかな。」

 「難いかな」を「以て徳に入ることなくして将に患害あらんとするを言うなり。」とするのが通説だが、モット漠然と前紀のような嘆息の言葉としておきたい。      
 昨今の私たちはどうだ。寄るとさわるとたペものの話と物価のたかいやすい、こうして闇を買った、ああして税をまぬかれた、の猿智慧くらべ、「難いかな難いかな」。

三九三 子のたまわく、君子は義(ぎ)以て質(しつ)と為(な)し、礼以てこれを行い、孫以てこれを出(いだ)し、信以てこれを成す。君子なるかな。

 孔子様がおっしゃるよう、「君子が事を為すには、道義をもって土台とする。しかし道義一点張りで押し通そうとすると、人の感情を害してかえって道義が通らぬ故、礼をもってほどよくこれを行い、随(したが)つて言葉を出すにも謙遜をむねとし、言行一致の信をもって道義を成就する。それでこそ君子なれ。」

三九四 子のたまわく、君子は能なきを病(うれ)う、人の己を知らざるを病えず。

 孔子様がおっしゃるよう、「君子たるべき者は、自分に才能のないことを心配して、学を修め徳に進まんことを思うが、人が自分を知らないことを心配しない。」
 前にも言ったとおり、この趣旨が四かい少しずつ違った文句で出ている。(十六・八〇・三六二)

『新訳論語』 講談社学術文庫


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