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じゃがいもころんだⅡ №55 [雑木林の四季]

人間満歳(ばんざい)

              エッセイスト  中村一枝

 家のとなり同志の付き合いのむずかしさといううのはよくある話だ。つかず離れず、ほどよく、仲良く、というのは理想にしても、なかなかそううまくいかないのが現実だ。まして、今は、狭い土地を漸く見付けて一軒家というのが多いから、なお更である。
 S家と私の家もそうやって、始まった仲良しのとなり同志だった。近所で出逢った、同じ会社の男同志が、おたがい、こりゃまずい、ともならずに、何となくとなり同志で住むことになり、以来何十面はおろか、子や孫の代までれんめんと続くつき合いになっていったのも、縁と言えばまさにそうである。
 S夫人と私とは年は5つくらい違ったが、とても気持ちが通い合って、毎日窓をあけては一時間しゃべっている間柄だった。娘同志がこれ又姉妹以上に中がよく、幼い頃はどっちもぴったりくっついて離れなかった。姉妹以上の友だちであった。
 S夫人は引っ越すとき「あなたにふさわしい人を探すのにずいぶん苦労したのよ」と、茶目っ気たっぷりに言ったものだが、S家のあとに越してきたのが、今おとなりにいるKさんである。
 そのKさんとのつき合いも、いつしか50年までになった。
 今年Kさんのご主人が亡くなられて、Kさんも又一人になった。Kさんとは同い年生まれの、昭和八年組。偶然、残されてみると、いろいろのことが共通している年代でもあった。そんなわけで、生き残りの昭和八年組は、戦中戦後さまざまの時代を生き抜いてきた思いを共有しながら、それまで知らなかったお互い同志を知ることになった。
 太平洋戦争真っただ中に、小学生であった世代、下町生まれのKさんはそのまま東京に残ったそうだ。私は伊豆の伊東に疎開した。食べ物、住居、学校などに共通するものはあっても、その体験は又、別々である。ただ、あの苛烈な時代を生き抜いてきた共通の思いは、お互いの胸の内にある。今や、八十八歳、華麗なるおばあちゃんたちである。
 それにしても、その世代がのりこえてきた時代の重さと大きさは、かけ替えがない。
 体験というものが、どのように人間に影響を与えるかは私は知らないが、私たち世代が、いろいろの形で身をもって経験したことが、多分このまま一代でついえていくのかと思うと、ちょっともったいない気がする。
 しかし、これも又人間の運命、歴史の波の中にいたことがあったというだけのことなのだと、私たち世代は銘ずべきなのかなと思ったりもする。
 となり同志というまったくの偶然に始まって、今やの瀬戸際に同じ町にたたずむ偶然、これも又、人間の姿であり、面白さでもある。
 人間が人間を続けていく限り、人間同志の持つ親和性、経験の面白さ、憎悪も含めて、だから人間って好き、という言葉が、自然に出てくる気がするのだ。



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