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日めくり汀女俳句 №85 [ことだま五七五]

九月六日~九月八日

  俳句  中村汀女・文  中村一枝

九月六日
逢ふはよし純白つつむ酔芙蓉
        『薔薇粧ふ』 酔芙蓉=秋

 中村汀女という名がマスコミに現れはじめたのは昭和三十年前後のことではなかったろうか。中村汀女と開いた時、私はどこかで聞いた名だがひょっとしてもう死んだ人ではないかと思った。縁談を聞いて、誰が見合いなんかと口を尖らせた。そのくせ送られてきた写真(これがまたイイ男だった)を見たくて、写真の置いてある奥の部屋に何度も行った。私にはもともと面喰いの傾向がある。それがすべての間違いの元。父の行きつけのレストラン新橋小川軒ではじめて夫と会った。
 昭和三十年十一月の終わり頃である。

九月七日
身かはせば色変る鯉や秋の水
        『春雪』 秋の水=秋

 見合いの席で汀女をはじめて見た。背の高さも横幅も堂々たる恰幅に庄倒された。薄い藤色の着物を着た汀女のうしろから現れたヤセ男が本人だった。彼は緊張のせいか頬がそげ、こわばった顔をしていた。写真の方がいい男だと思い、ちょっとがっかりした。
 若い人たちだけで話をという段になった時、父はおずおず隅っこに私を呼び、小声で「おい、金あるか」と聞いた。
 汀女もまた、息子にしきりにお金を渡そうとしていた。今、思い出してもなつかしく心温かい親たちの風景だった。

九月八日
銀河仰ぐや今争ひしことを恥づ
         「汀女初期作品」 銀河=秋

 大好きと、大嫌いの間には暗くて深い河がある。こればかりは理屈でないから埋めようにも埋められない。
「Oさんのお家ね、お部屋の中に犬の毛が舞ってるの。むいて出されたりんごもどうしても手が出なくて」「犬の毛を気にしてたら犬飼えないわ。きっと毎日結構口ん中入ってるわ」。犬の毛一つでもこの始末。不潔だ、無神経だという話ではない。犬派と非犬派が共存して生きている以上至る所に紛糾の種が。
 相手の立場で視る、それしかないかな。

『日めくり汀女俳句』 邑書林




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