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論語 №122 [心の小径]

三八二 子のたまわく、直(ちょく)なるかな史魚(しぎょ)、邦(くに)道有れば矢の如く、邦道無きも矢の如し。君子なるかな遽迫玉(きょはくぎょく)。邦道有ればすなわち仕え、邦道無ければすなわち巻きてこれを懐(ふところ)にすべし。

       法学者  穂積重遠

 「史魚」は衝の太夫、「史」は姓だという説と、史官すなわち官名だという説とある。「懐」を「おさむ」とよむ人もある。

 孔子様がおっしゃるよう、「剛直なるかな史魚は。国に道があって治まれる時に矢のように真っ直ぐなのはもちろん、国に道なくして乱れているときにも矢のごとくまがらない。君子であるかな遽迫玉は。国に道が行われれば出でて仕え、国に道が行われなければ才智を巻いて懐にかくしている。」

 どちらがまさるとも言われないが、今までの調子からいうと、史魚の直は感ずべきだが、遽迫玉の君子たる城には達せぬ、とされるのらしい。この辺が例の中国戦国思想で、われわれには納得し得ないものがある。

三八三 子のたまわく、与(とも)に言うべくしてこれと言わざれば人を失う。与に言うペからずしてこれと言えば言(ことば)を失う。知者は人を失わず、亦言を失わず。

 孔子様がおっしゃるよう、「共に語るに足る人に出あいながらこれと話をしないと、人を失う。すなわち、せっかくの善い相手を取り逃がす。話してもわからぬ人をつかまえて語ると、言を失う。すなわち、せっかくの言葉をむだにする。よく相手の人物を見定めて、語るべき時に語り、黙すべき時に黙するのが知者というものぞ。」

 「言を失う」を日本流にいえば、「あったら口に風を引かせる。」

三八四 子のたまわく、志士仁人(ししじんじん)は生を求めて以て仁を害することなし。身を殺して以て仁を成すことあり。

 孔子様がおっしゃるよう、「生きることの大切なのは言うまでもないが、人が仁ならざるべからざることはさらに大切じゃ。それ放、仁を得た人はもちろん、いやしくも仁に志すほどの者は、命が惜しさに仁の徳を害するようなことはしない。場合によっては命を捨てても仁を成就するものぞ。」

 これは有名な、また大した金言だ。宋の文天祥(ぶんてんしょう)がかの正気歌を作った獄中で景後まで懐中にしていた「衣帯中の賛」に「孔は仁を成すといい、孟は義を取るという。ただそれ義尽く仁至る所以なり。聖賢の書を読みて、学ぶ所何事ぞ。今にして後、愧(は)ずることなきに庶幾(ちか)し。」とあるのも、これから出ている。佐藤一斎は、「この章は危難の際に就きてこれを言うを本とすれども、しかも平常にも亦この事あり。生を営むに汲汲として義理を顧みざるが如きも、亦これ生を求めて仁を害するなり。己の私を克治し以て心体を完(まっと)うするも、亦これ身を殺して以て仁を成すなり。」と説く。今日の窮境において、特にこのことを痛感する。「身を殺して仁を成す。」には至らずとも、願わくは「生を求めて仁を害」したくないものだ。


『新訳論語 講談社学術文庫


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