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バルタンの呟き №98 [雑木林の四季]

「コロナ狂騒曲第Z番」

        映画監督  飯島敏宏

 僕が生まれた時から続いていた、永い永い戦争が終わっても、その後に残った衣食住、特に、飢えとの闘いは容易ではありませんでした。でも、寒く厳しい冬を漸く超えて、春を迎える頃には、度重なる焼夷弾の雨で焼き尽くされた首都東京の焦土にも、スミレ、タンポポ、サクラと、花が咲き、五月を迎えれば、降り注ぐ陽光に、草木の緑が輝き、僕たち中学二年生の音楽教室の開け放った窓からは、「♫イン ブーンデル シェ―ネン モーナット マーイ!(美しき五月よ!)」と、僕たちの高らかな歌声が流れ出ていました。ピアノに向かっているのは、襟もとまで髪を伸ばし、ボタン付き白シャツに蝶タイ、ベストを着て、釣りズボンという、去年までの、開襟シャツにカーキ色の袴下(ズボン)の軍服まがいの国民服を着て坊主頭という姿から別人のように変身した音楽の先生です。先生の弾き語る伸びやかなテノールの声を追って、口移しで習ったばかりの原語で唄っているのです。ストライク、アウト、セーフの野球用語まで、何でもかでも日本語でと、皇国の少国民として育てられてきた僕にとって、この歌を唄った思い出は、平和と自由が、初めて実感された印象的な時間として、今でも、記憶に残る時間です。勿論、僕たちだけではありません。一億一心、滅私報公、などの掛け声で、全国民が軍国主義一色の時代が、ようやく終わった感のある五月だったのです。貧しくても、ひもじくても、明るい明日が望める麗しき五月だったのです。

 あれから、76年、喜びの、悲しみの、色々な五月が過ぎて行きました。でも、幸いにも今日までは、最も悲しい五月でも、明日が信じられる五月でした。

 さて、今年の、この五月はどうでしょう。我が家の窓を開け放っても、何処からも、歌声はおろか、笑い声も、音楽も、聞こえては来ません。時折、というよりも、頻繁に聞こえてくるのは、救急車のサイレンです。遠く小さく聞こえていたサイレンが、だんだんと大きくなり、近づいたところで、不意に途切れると、ぞくっ、と寒気がして、つい耳を傾けてしまうのです。

 我が街は、50年以上前に大規模開発されて分譲された住宅地ですから、超の付く高齢者が殆んどという街です。救急車のサイレンが、耳をそばだてさせるのは、当然かも知れません。でも、超高齢となった僕の耳には、空耳というのか、それとも地獄耳なのでしょうか、なにか、また、あの恐ろしかった時代につながるような、いや、それよりも遥かに恐ろしい、再び日が昇り明日が来るのが信じられない、闇の破滅に繋がる音響が聞こえるのです。曲名は、「コロナ狂騒曲第Z番」、作曲者はバッハに他なりません。 かつての「コロナを制圧した証しとしての」から、「国民の命や健康を守り、安心安全な東京オリンピック・パラリンピックを・・・」と、完全に守勢に変わった演奏者の手で奏でられる狂騒曲です。しかも、想像を絶する莫大な負の遺産を残して演奏しようというのです。負の遺産を誰に、そう、我々や現役の世代では到底負担しきれない莫大な金額なので、次世代を担う人々、さらに、若い君たちへの遺産として残そうというのだ。

 近代オリンピック精神の創始者と言われるかのピエール ド クーベルタン男爵の言葉にあるように、オリンピック競技大会で重要なことは、参加することであり、充分な準備をして闘う事だが、最も重要なことは、慎重で寛大な人間性なのです。開催直前になって中止の勇断が出来ずにいるのは、あまりにも商業化して肥大になりすぎた悲劇に他なりません。コロナ対策で後手後手を重ねた上に、国民の生命を賭けてオリンピックを強行することは、真のオリンピック精神に悖るのではないのでしょうか。

 さあ、諸君! 今こそ起ちあがろう! 今こそ、君たちが、君たち自信の声で、高らかに、君たちの歌を、歌い上げる時なのですよ!

 これはもう、呟きではなく、叫びです。コロナ、オリンピック、その向こうから、戦争の足音が聞こえてきませんか? 君たちの耳には・・・
 


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