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海の見る夢 №8 [雑木林の四季]

            海の見る夢
         -夕暮れの子供たちー
               澁澤京子

・・1948年(イスラエルの建国)以降、私たちの存在はずっと軽視されてきた。
                      『パレスチナとは何か』エドワード・サイード

東日本大震災の後、ガザの子供たちが日本の被災者を励ますためにタコを上げている写真をみたことがある。彼等は、震災後のがれきの写真を見て、とても他人事と思えなかったらしい。ガザの子供たちにとって、がれきは日常の風景なので、震災で家を壊された人々にとても共感したのだ。

2014年、最も死傷者の出た空爆の日、パレスチナではちょうど日本の五月の節句の様な子供の祝日で、子供たちが新しいおもちゃを貰える日だったらしい。瓦礫と血の海、焼け焦げたセルロイドのおもちゃがたくさん散乱している報道写真があった。

今回の爆撃は報道機関の入ったビル、そしてまた病院が対象になった(2014年は、病院、水道、電気のインフラが破壊された)今回の空爆で殺されたパレスチナの子供は63人。家を失った人6000人以上。死者は200人以上・・・これって、明らかに国際法に違反しているのでは?アメリカのイラク攻撃と同じ戦争犯罪じゃないの?

どっちもどっちの正義の相対性がまったく通用しない場合がある、ルワンダの虐殺、南アのアパルトヘイト、など。つまり、どちらかがどちらかに、差別、抑圧、強制撤去、拷問、などを日常的に行っていたら、それって明らかに「理不尽」だろう。

今のパレスチナでは南アのアパルトヘイトに似た「理不尽」が行われていると思う。かつて南アでは、汚い手口を使って黒人同志を分裂させコントロールするという、白人支配が続いたが、オスマン帝国瓦解後の英仏による植民地分割、イギリスの三枚舌外交にはじまって以来、紛争の絶えない中東。米軍基地がおかれ・・最初に対ソ連のためにアフガニスタンでビン・ラディンを育て、対イランのためにフセインを支援していたのはアメリカではないか・・ブッシュのイラク攻撃といい、余計中東の混乱をひどくさせているだけで、混乱を収め、統治する能力はまったくないのである・・(CIAという組織の腐敗、無能ぶり。9・11がなぜ起こったかについては『CIA秘録』ティム・ロビンス著に詳しい)

瓦礫と化したガザ空港の写真を見たことがある。1998年、アラファトとビル・クリントン時代に建設されたが、2001年にイスラエルの空爆によって閉鎖。
廃墟となった空港の上には雲ひとつない青空が広がっていて、こうした光景を見ると、旧約聖書の「詩篇」や「ヨブ記」をまるで自分の事のように理解できるのはパレスチナ人ではないか、と思ってしまう。

『パレスチナ音楽日記』という阿部真也さん(指揮者でヴァイオリン奏者)の書いた素晴らしいエッセイがある。パレスチナのエドワード・サイード音楽院でボランティアとしてパレスチナの子供たちに音楽を教えていた時の日記。日記を読み進めるにしたがって、彼がパレスチナの子供たちの影響で次第に変わっていくのがわかる・

・・・パレスチナには才能あふれる子供たちがたくさんいる。でも、才能をあきらめさせる環境もここにはある。子供たちも家族も、一緒にいたいと思っても、それすらかなわない現実がある。-ここの子供たちは、国の状況に悩まされるだけではなく、自分の才能すら見ぬふりをしなければならない、希望すら見て見ぬふりをしなければならない、-それがこの国の現実である・・『パレスチナ音楽日記』

毎晩、爆撃の音で静かに眠ることもできないパレスチナ。爆撃後の、凄惨な光景の中で、ほこりまみれのこどもたちをしょっちゅう目撃しなくてはいけないパレスチナ。阿部さんは、才能があってもそれを育てることのできないパレスチナの酷い現実に何度もくじけそうになる。
しかし、そんな毎日でも子供たちは喜んで楽器を習いに来る。

・・・なんのために学ぶのか。あるパレスチナの子どもは言った。「生きるため」。
彼の国では学ぶことは「お金のため」「地位のため」「よい会社に入るため」の方便になりさがっている、でもここの子供たちは違う。学ぶことは、争いの絶えない日常の中でのわずかな光なのだ。-僕はこの地に来て「生きたい」と強く思うようになった・『パレスチナ音楽日記』

子供たちに音楽を教えているうちに、阿部さんにとっても音楽は「生きること」であり「音を楽しむこと」と変わっていく、そして、今この瞬間を懸命に生きることを、パレスチナの子供たちから次第に学んでいくのだ・・

大人から見たパレスチナの現実は、ガッサン・カナファーニー(36歳で暗殺され死亡)の救いのない小説『ハイファに戻って・太陽の男たち』や、ナージー・アル・アリー(50歳で暗殺され死亡)の『パレスチナに生まれて』に風刺されているような絶望的な状況だろう・

しかし、いつ爆撃で家や家族を失ってもおかしくない過酷な状況の中で、毎日を懸命に生きている子供たちがいる・・パレスチナでは、衣服などはイスラエルの古着しか手に入らない・「断捨離で幸運を呼び込む」とか「引き寄せの法則」とか日本で流行している自己啓発やスピリチュアルは、ここパレスチナにおいてはあまりに軽薄でバカバカしいものになってしまうだろう。

パレスチナの子供は毎日、家族と一緒に平穏な一日を過ごせるだけでも幸福なのであって、さらに音楽を学べることが希望の光なのである・・

パレスチナに比べたらずっと豊かで安全だけど、いじめ、自殺、孤独死の多い日本。おそらく、何が本当の幸福なのか、パレスチナの子供たちの方がずっとよく分かっているんじゃないだろうか?彼等は未来を奪われているために、「~すれば~なる」の手段と目的で生きていない為に、つまり、先のことや結果を考えず、純粋に今この瞬間を懸命に生きているため、誰よりも、光と真実の近くにいる存在じゃないだろうかと思うのである。
また誰よりも、音楽の、そして生の歓びがわかるんじゃないだろうか。

澁澤京子.jpg
「海岸でサッカー遊びをしている時に殺されたパレスチナの子供達」
(イスラエル人アーティストの作品

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