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梟翁夜話 №88 [雑木林の四季]

「バネ指余話〜ハノンとソルが近い」

           翻訳家  島村泰治

このひと月、HPの記事を書いてゐなかった。先日載せた放談一片を読まれて感想を送ってくれた方の話をしたら、家人が沁みじみとさう云ふのだ。たしかに書いてゐない。それに気づかぬほど、このひと月、この指たちに翻弄し尽くされた。

この指たちとは、左手の中指と薬指、いや専門では環指(かんし)と云ふらしい指の二本だ。これらがばね指とやらになって私の生活パターンを一変させた話は、読者諸賢はすでに先刻ご存知。利き腕の右手は健在で、手書きなら何の不自由もない書きものが、この指たちの不具合ひでキーボードがままならぬと云ふ事態は奇怪至極、遣る瀬ないこと甚だしい。右手一本で事足りた原稿用紙の時代には思ひもよらぬ、何とも切ない有様だ。

One-finger Joeの不便を実体験しながら考えた。

身体の何がなくなったらどうなると云ふ苦労は、現にどれかがなくなって初めて解ることで、人のからだほど融通無碍な仕組みはない。膝を人工関節に替えた時、その辺りは身に沁みてゐた筈の不本意を、この左手の二本の指が不自由になって、またぞろ感じ入るなどはわれながら情けない話だが、膝は膝なりの指は指なりの機能があり、それぞれ損へば斯(か)くなることを悟るにおよび、その融通無碍のほどをじっくり味はった次第。

左手の中指(ちゅうし)と環指、これは云ふなら要(なかめ)指だ。握れない絞れない掴めないは序の口で、まだ腫れが酷かった頃は飯の茶碗も真面(まとも)には持てず、些細なものが摘めない為体(ていたらく)、とても尋常な生活は営めなかった。ましてや楽器扱ひとなれば、この隣り合った二本が故障してはモノが成り立たない。鍵盤はタンバーが不揃ひの上円滑を欠く。それよりも何よりも、痛みが邪魔をして楽興を削ぐ。痛みを堪へて何とか音楽にしやうにもそんなざまだ。当然ながら、楽器弄りができぬ不毛な時間が営々と過ぎる。

ギターとなると致命的で、指が多少なり曲がるようになってもしやとギターを取り上げても、辛うじてネックは抱えるが指が届かぬ。この二本が音づくりの要だから、いかに右手が真面でも「音」が出ない。出てもとても楽音にはならぬ。耐えかねていっとき、暫し弾く真似をしてしこたま懲りた。ギターが弾けなくなる悍(おぞ)ましい可能性を予感して、慌てて楽器を置き、さなかるべしと真面目に祈ったものだ。

そして、ひたすら冷やせしこたま揉めの励ましに素直に応じてほぼひと月、HPの記事書きも疎かに、10回もの通院治療の効果がようやく顕れてやわらかく握れるほどに握力が回復、二本の指たちがほぼ自力で掌に触れるまで曲がるやうになった。主治医からは予想を超へる早期回復を誉められ、リハビリの担当治療士には記録的な回復だと称へられて、いま大いに気をよくしてゐる。

いまや癖にまでになった冷やせ揉めのルーチンは、右手指のバネ化の予防にもなるとのことで、以後左指ともども生活習慣のひとつになるやも知れぬ。いや、それで済むなら大いに結構、須(すべか)らく冷やせ揉めは続ける積りである。ひと月先になる最終診断が吉報で済めばリハビリも完了するはずだ。さらば、ハノンを再開しソルの練習曲も弾き始めるつもりで心待ちしてゐる。

・・・となれば、暫しは専ら冷やせ揉めに励まうか、との心算(こころづもり)だ。




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