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梟翁夜話 №87 [雑木林の四季]

「ばね指始末記」

          翻訳家  暇村泰治

肝心の左手中指が故障して、長年親しんだギターを弾けなくなって久しい。ある日不意に関節が曲がったまま戻らなくなり、音を拾ふ左指とくに中指がこれでは、繊細なギターは弾けぬ道理だ。ゆび専科の科目があるとも知らず、ギターレスの日々が悶々と続いた。

ギターレスとは云へかし、全く触らぬことなどできるはずもなく、折々に騙しだましの探り弾きをしては見るのだが、左指一本の不具合ひがかうも音楽を殺すものか、と悟るばかり。八分音符のスケールに無様な付点が入る為体(ていたらく)で、楽器を手に取るのも三日に一度、五日に一度と減り、いつしか手にも取らぬ日々が続き、はたとギターと縁が切れた。

その間、ギターは云ふに及ばず、ものが握れない、タオルが絞れないなど、日々の生活にじわじわと支障が見られ、物運びを女手に頼るざまになった。天下の一大事である。

天の救ひか、そんな折に熊谷の慈恵病院に手外科があることを知る。手外科(てげか)とは聞き慣れぬ科目だがこれは吉報、押っ取り刀で馳せ参じた。手外科の主任F医師は症状を診て即座にばね指だと診断、さして珍しくもないとのことで、先づは左中指の元に副腎皮質の注射をするといふ。いっそ切ってくれまいかと乞へば先づは注射で様子を見させてくれ、と。やむなくその日はそれで帰宅、前途に光明らしきものが見えたのである。

奇態なもので、注射のせいか指関節が気無しか滑らかだ。しめたと楽器を抱へてはみたがとても演奏には程遠く、練習などする気も起こらぬ。取り敢へずは様子を見よとの医師の診断には逆らへず、さらにギターレスの時が流れる。その間、どうにかならぬかと試みはしたが中指奴はなお何としても思ひに任せない。そのままギターはラックに戻す。

そして様子を見ることほぼ半年、悪い事は重なるもので、何と中指に加へて薬指までが不調となり、グーをするはいいが自力ではパーに戻らぬ気配。右手を借りて無理に戻せはするが、こっくんといふ感触が滅法な痛みを伴ふ状態になった。かくてわが左手は、今や、ギターはおろか握りも絞りもできぬ不具手と化した。

身体髪膚これなんとやら、害(そこな)はずに指を取り戻したい思ひは止まず、思ひ切って手術を決意、早速慈恵病院に走った。見るなりまたもや注射云々の話を始めるF医師を抑えて手術をと訴える。こちらの剣幕にたじろいだか、医師は旬日後の執刀を約束してくれた。中と薬の両指同時に三十分で済ますといふ。指先に近くさぞや痛からうと思ふが、ここは乗りかかった船だ、どうなと勝手にしてくれの心境。

かうして、ばね指二本の手術を受けることになった。手術から抜糸、さらに養生としばらくは依然ギターレスだが、この度は様子がまるで違う。晴れて完治すれば日々の生活にギターが戻ってくる。くれば生活に音楽が蘇る。八十六歳を越えたいま、この楽器が満たす楽興の時は果てしなく豊かだ。左なくだに滅入りがちな時が増えよう老境に、これはまたとない福音である。わが命いまだ絶えず、の思いしきりである。


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