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海の見る夢 №7 [雑木林の四季]

       海の見る夢
         ―美しい図書館―
               澁澤京子

 最近は、世界中の図書館の写真集『美しい図書館』があったりして、本好きの私はうれしい。リオの幻想図書館、チェコの古い修道院がそのまま図書館になっているもの、トルコのクルスス図書館など、行ってみたくなるような図書館ばかり。今は遺跡が残っているだけのアレクサンドリア図書館、(前285~)アレクサンドリア図書館には全国からやってくる哲学者、詩人のために宿泊施設もあったらしい、幻のバビロニア巨大図書館(前605~)など、図書館というのは何てロマンティックなんだろうか。

私の憧れは図書室のある家に住むことで、一階がサロン、二階が寝室と居間、三階がすべて図書室というモンテーニュの家が理想だったが、夢はかなわず、今は、所狭しと積まれた本の間にかろうじてベッドがある、という部屋に住んでいる。

モンテーニュはグローバルな視点を持った、懐疑主義者。しかも自分の地位の高さと自分を決して同一視しない謙虚な賢い人で、さぞかし政治家としても非常にバランスのとれた人徳のある人だったんだろう、と思うのだ。海を越えてやってきた南米のインディオに対面して、フランスの文明がインディオの世界を汚すのでは?と心配し、彼等を野蛮というフランス人に対しては、野蛮なのは私たち(フランス人)のほうではないか、と批判している。文化の違う人間に対しても、相手の目線に柔軟にあわせることもできたのだ。

目的のためなら手段選ばずのマキャベリズムには反対し、政治家にありがちな腹黒さ、二枚舌、卑劣は断固として拒否し、あくまで誠実で正直であることを大切にしたモンテーニュ。

モンテーニュの親友のエティエンヌ・ド・ラ・ボエシはモンテーニュと同じような洗練された教養人で、その『自発的隷従論』は今読んでも新しい。まだ10代半ばの若者の書いた鋭い社会批判は、今の私たちにも十分通用するのだ。

・・あなたがたが身を粉にして働いても、それは結局、敵が贅沢にふけり、不潔でいやしい快楽に溺れるのを助長するだけなのだ・・

(私たちの税金は無能な政治家や官僚によって無駄遣いされているということ)

・・ローマの圧政者たちは、また別の手口を思いついた。民衆十人隊をおりにつれ、饗応することで・・

(これは某政治家がマスコミにご馳走したやり方にそっくり、圧制者はあれやこれやの詐術で民衆を騙して悪事を隠そうとする)

・・われらの王たちはフランスのあちこちにその種のよく分からないものをまき散らした.ヒキガエル、ユリの花、聖瓶・・『自発的隷従論』

(権力者は自らを権威づけしてブランド化するために権威の象徴を作ってまき散らす。そして大衆はそういったものをやたら有難がる)

無能だったり悪党だったりする君主の権力の濫用は、それに奴隷の様に従順に従って支持したり、有難がったり、簡単に詐術に引っかかる私たち民衆に問題があるというもので、16世紀に一人の少年によって書かれた『自発的隷従論』は、今読んでも新鮮なのだ。

圧政者をつぶすひとつの解決策として、「友愛」をあげていて、つまり支配被支配の縦の関係より、民衆の横の連帯を、と言うものも、今でも有効な解決策なのである。(今でいうとデモ・市民運動だろう)

ラ・ボエシは33歳の若さで、モンテーニュに看取られて亡くなった。

なぜ人間は権威や力に弱く、支配被支配を好むかというと、おそらく縦の人間関係はサル社会に近いからじゃないかと私は考える、つまり横の平等な連帯、「友愛」よりも支配被支配の縦の関係のほうが、ボス猿を中心に形成されるサルの世界にそっくりではないか。

サルは自分より上位のサルには頭が上がらず、自分より弱いサルに対しては威嚇したり命令したり・・サルの社会は支配被支配の社会。サルは力のあるものに従うのが好きだ。

また、サルは自分の餌を多くとるためには仲間を騙したりポーカーフェイスもするらしい。

詐欺師も、独裁者も、へつらいも威嚇も、自己保身に走る大衆も、サル社会に皆存在するのは力によって順位の決まる社会だからだろう。人が優劣にこだわるのも、もしかしたらサル社会の名残であって、つまり、サル社会には、人間社会の悪の萌芽のようなものがすでに存在するということだ・・

昔、パートに初めて出た時、そこには意地の悪そうなおばさんが一人いて威張っていた。他人のミスを見つけるとわざと大声で注意したり、人の陰口もすごいのである。彼女の周囲には、彼女をおだてたりちやほやする人ばかり集まっていたが、あれもサル社会の支配被支配の一形態だろう・・(その後、私が彼女の目の敵にされたのは言うまでもない・・)

狡猾で、平気で他を騙し、臆病で自己保身が強く、自分の事しか考えられず、周囲の影響を受けやすく、威張るか隷従するかの支配被支配の関係しか持てないのがサル社会の特徴であるのに対し、率直で正直であり、自己保身に走らず誠実な態度を取り、自分自身をしっかり持っていて、誰とでも対等につきあえるし誰に対してもフェアな態度がとれる・・そうした性質のほうが洗練された、人間らしさといえよう。

ボス猿のやり方に抵抗して、デモや市民運動を始めるサルっているだろうか?

サルやカラスは知能が発達しているので他の動物をからかったり嘲笑したりはするが(うちの犬はよく庭でカラスに嘲笑されていた)、自嘲のできるカラスやサルはいるだろうか。

人はサルと違って、平気で環境を破壊する。しかしまた、破壊された環境を何とかしようと自分たちのやってきたことを反省できるのも人だけなのだ・・・

自身に正直に向かいあうことができて、反省や内省ができるのが人間なのだ・・

『パブリック・図書館の奇跡』という映画が面白かった。図書館の閉館時間が来て、図書館に温もりを求めて集まってきたホームレスたちを凍死者の出る厳寒の戸外に抛り出すことができず、たった一人で市や警察に抵抗してホームレスを保護した図書館員の話。ある新聞記事をヒントに作られた映画だそうだけど、アメリカにはそういう勇敢な図書館員がいてもおかしくないな、と思ったのである。何しろ『市民的不服従』H.ソローの国だからだ。

映画の中で、「・・図書館は民主主義の最後の砦。」と言うセリフがあった、誰にでも開かれたオープンなスペースだし、誰でも平等に自由に本が読めるからだ。

本を読む。たった一冊の本を読むことによって、人が救われることだってあるのだ・・

図書館を包囲した警察の説得に応じる代わりに、図書館員が「怒りの葡萄」の一節を朗読するシーンが素晴らしい。スタインベックの文章ってなんて美しいのだろう、まるで音楽のように・・

・・ひとびとの目には敗北の色が濃かった。飢えた人々の目には募る怒りがあった。ひとびとの心の奥底で、憤りの葡萄があふれんばかりにたわわに実り、ずっしりと育って、刈おさめの季を迎えようとしていた。・・・『怒りの葡萄』スタインベック

私たち一人ひとりがしっかりと自分を持ち、社会に関心を持って声を上げて抵抗しない限り、世界は何時まで経っても変わらない・・それどころか破滅の道をこのまま突き進んでしまうかもしれないと危機感を持っている。



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