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じゃがいもころんだⅡ №40 [文芸美術の森]

米寿の思い

           エッセイスト  中村一枝

 この四月十日で八十八才になった。言ってみれば米寿のおばあさんである。名実共に心身の衰えは予想以上で、犬と暮らしていても段々不安になってくる。愛犬モモは15才。これも人間でいえばとっくに八十才をこえているはずである。なのに、外見は多少毛並みが白っぽくなった外は、ぱっちりした目元とか、愛らしい面差しとか、とても八十才の老人には見えない愛くるしさである。
 コロナとオリンピックにはさまれて八十八才の米寿を迎えるというのも一興趣ではあるまいか。
 私たちの世代は、子どものときは戦争に出逢い、今まさに没しようという時にコロナとオリンピックに出逢っている。ある種華々しき世代でもある。
 戦争中は疎開で地方に行った。 たまたま知人の紹介で静岡県の伊東だった。温泉の町である。東京の山の手とはまるで違う生活と環境、稲とか田んぼとか、川とか、温泉とか、みんな初めてみるものばかりだった。体の丈夫なほうではなかった私を案じて、父と母が探してくれたようなものだ。
 戦争とはいえ、私はそこでまた新しい環境に出逢った。幸運といえば幸運な巡り合わせである。
 疎開先の大家さん(私たち一家はその小さな隠居所を借りたのだ)は、深川でたたきあげの職工さんから一代で大きなガラス工場をつくりあげた実直なご主人と、対照的に、言いたいことをすぱすぱ言うやりての奥さん。どちらもドラマの中の人物のように個性的だった。それに、私にとって幸いだったのは、私より一年上と一年下の男の子がいたことである。
 「これ、オルガンずら。」
 引っ越した次の日、、二人は廊下に置いた小さなオルガンに早速興味を示した。その二人と毎夜、温泉に誘われて、まるで旅館のような大きな湯舟で、毎夜あそぶことになった。千坪以上ありそうな庭には様々な果樹が植えられ、私はそれだけでも東京よりも豪華な生活だと思った。とにかく庭といえば、飛び石が二つ三つ転がっている小さな庭しか知らなかったのだから。
 アメリカのB29は毎日、伊豆半島を北上して東京を目指す。夜は灯火管制、黒い布で覆われた電灯の下でぼそぼそのご飯を食べた。それがある日、終戦。今思うと、私たちは幸運にも生き延びて、敗けたのは悔しかったにせよ、命をまっとうできたのである。
 それがあっという間に人生の終焉にさしかかってきた。足はよれよれ、頭もぽろぽろ、いかれているけれど、ここまで生きてきたら、そう遠くないうちに、人生の終わりを見届けることになるのだろう。ほんとうは跳ね回りたくて走り出したくてうずうずしているのに、足も頭も思うようには動かない。そんな動かない足や頭をもてあましながらも、生きているってやっぱりいい、と、心のどこかで思っている毎日なのだ。



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