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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №49 [文芸美術の森]

第七章 「小説なれゆくはて」 13
 
      早稲田大学名誉教授  川崎 浹

「命のキケンさえ感じる」 2

 九月六日
 今日は廻りには労務者達来ない。

 九月七日
 老人年金受けに市役所に出かける。

 九月八日
 廻りは静かになった。一体埋めたり掘ったりくり返し何をやっているのか分からない。以前コブタの番頭が言っていたが、こんな水の湧く地で全くもてあましていると言っていたからだろう。ここは排水がむずかしい土地だ。

 九月十日
 『小説なりゆくなれのはて』の原稿が裁判所で必要かも知れないので川崎君の処に取りに行く事。池袋に出て電話したら大学の方に居るとの事。原稿も持って行っているとのことで早稲田大学に行って見る。広くて又何か騒ぎてやっていて居処が分からなくあっちこっちに行ってやっとさがし出して会って話している内に毎日工事場の中でツルシアゲをくっているようなもの、いささか頭に来ていたのか、どうやら学園らしいフンイキで落ち着いてゆっくりしすぎた。彼の授業の時間を少し後らせて悪かった。バスで新宿に出て田場川に確証、明日増尾に来る処らしいが明日私の方から行くと約束、明るい内に帰らねばと帰って来る。

 九月十一日
 朝、伊藤氏来る。昨日大崎夫人心配して来てみたが不在だから仕方なく帰ると言ってマリ夫人からの見舞物と一緒に預かった物を届けてくれた。裏の土山を越えて来ている。暫く話していて少しおそくなったが、昼頃出て田場川に行く、弁護士の話、裁判所に行って調べた処、コブタが高島の委任状を作って東急に家と敷地の住居権とを高価な金額で売り渡し、高島の代金受取書も東急に渡している由、道理で東急わがもの顔に工作侵略を始めたのだ。ひどい事をやったものだ。書類も高島の字らしく書き三文判を捺しているらしい。だからあれ程強引にやらねばならなくなったのだろう。馬鹿な奴だ。小夫田(こぶた)と田村の仕事だ。それで弁護士その偽りと工事の不当をなじる。抗議書の内容証明を社長後藤登宛てに出してそれに対する向こうの言い分が来るはずなのだから待っていたが、来ないでいる処だとの事。驚いた事だ。『なれのはて』を渡す。日記風だからいいそうだが、とにかく初めからの全部でこれを読めば凡て明白になる。弁護士さん読んで見る事。或いは裁判所にも見せることになるかも知れぬ事。・・どうやら生命のキケンが感じられ出す。コブタ連が自分達のやった事が正当となすためには偽筆偽印を見分ける高島を消すより外にないだろう。高島を消さなければならない。特に高島の住所の辺は消すに最適の処だ、これは洲の岬の新築に住まっても同様だ。どうやらあの土地はだれの名になっているか分からない。そして高島が死ねば万事好都合に土地も家も画も全部自分のものになす事が出来るだろう。だから高島を消せという事になる。あの新築に行かないでよかった。消されに行くようなものだった。
 とにかく明るい内に帰らなくてはと帰ってくる。六時に増尾について市道から帰る。森の横を通って坂を上がった処右側の森が切られた処に道に斜めに黒い自動車が止まっている。運転席に男がしゃがんで何かしている。故障でも直しているかと思ったがそうでもないらしい。あやしげの車と人、横を黙って通って行くのに向こうから大型の運搬車がつづいて二台やって来た。左の森に足を入れてよける。この辺で自動車におしつぶされたらそのままだれがやったか分からないですむだろう。とにかくやっと家に帰りついた。今月の運勢には夜間外出は止めよとある。全く家、屋敷の段ではない。生命の危険が感じ始めらる。

顛末
「西本年譜」によればこの事件は次のような形で一件落着した。
「十月二十九日、松戸簡易裁判所において、家屋を四〇〇万円で売り、西岬村に移転することで業者と和解。しかし西岬村のアトリエには結局入居することはなかった。十二月、練馬区高松二丁目四二に仮住まいする」。
 私は『小説なりゆくなれのはて』の九月十日までたどりついたとき、しばし呆然とした。殆ど忘れていたからである。自分の日誌をとりだし一覧すると「大学に高島氏来訪」とだけメモされている。私はこの一行から高島さんが来訪した一日を想いだそうと試みる。前にも高島さんは大学にきたことがある。その頃は非常勤教員の休憩室だったにちがいない。こんど高島さんが研究室に来たというのなら、そうなのだろう。どんな身ぶりで何を言ったかさえほうふつと甦るような気がする。
 『小説なりゆくなれのはて』の最後の頁は画家が大学の私の研究室を訪れた日の翌日の記述で終わっている。「小説」なので多少の誇張もあるだろうが、出だしの不安と同じ気配で幕を閉じる。
 他方で『小説』は資料を後世のために残しておきたいという画家の義憤のようなものから生じたのだろう。同時に自分の体験に我ながら興味をおぼえる自分がいて、それが画家に私のような読者を想定させながら『小説』を書かせた。しかし、これはかれが遁世の徒でありながら、いやそうであったからこそ、立ちふさがる六〇年代の風車ならぬ恐竜と闘わざるをえなかった、そのことにより逆に環境破壊というやがて襲いくる歴史の未来を予見する重要な一駒となっている。
 その生き方は、古い写実様式に属するとされる野十郎の絵が、「近代」はすでに効力を失ったと声高くいわれる現代において、妙に現代的な役割を帯びて前方にあるようにすら見えてくるパターンと似通?ていないだろうか。

『過激な隠遁~高島野十郎評伝』 求龍社



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