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梟翁夜話 №85 [雑木林の四季]

『「桜の民」余談』

          翻訳家  島村泰治

それは思ひ詰めて言ったことではなく、何かを企んでの言ひ方でもなかったのだが、ある言葉が大向ふの喝采を浴びた話をご披露しやうか。

汚れた選挙を何とかものにしたバイデンが、大統領選を乗り切って就任式に漕ぎ着けたアメリカの話がyoutubeを賑はし、すこぶる付きの保守である筆者が推したトランプが一敗地に塗れて悄然としてゐた折、たまたま同じ視点からアメリカ話をしてゐたあるサイトに立ち寄った。見れば、主宰者が支那名、それが中共を大いに貶し「トランプさんは残念なことをした」と、保守臭豊かな話っぷり。座り直して耳を澄ませば、一くさりのトランプ話に続いて何と武士道の話をし始めたではないか。戦に敗れたトランプを惜しみ中共を貶し武士道を讃へる支那人、これは只ならぬ取り合はせだ、と筆者はどんと座り込んで彼の話に聞き入った。

〇〇と云ふ支那人と思いきや、当の主宰者は名前はふた文字の支那名だが、今や帰化して日本人、それも鮮やかな日本語を操ってゐるではないか。それも大時代な漢字でなく和風漢字を巧みに操る様子に好感を覚える。何でも日本への憧れは武士道への傾倒が切っ掛けで、それが遂に帰化へと昇華したと云ふ。

その日の話は武士道と桜、武士道は修行と悟りながら「桜」がこれにどう結びつくものか、とんと判らなかった、と語る。並の花は蕾から花になり、やがて弱り姿が崩れて落ちるものだ、とは知らぬでもない。桜も花なら変わることも無かろうと思ってゐたのだが、と彼は振り返る。

某夜、夜桜を愛でる場で、薄明かりに咲く桜を見上げその美に嘆息してゐたが、そこに来たった一陣の風に桜の花びらが一斉に散った。まだ弱りもせず、姿も崩れてはいない花々が燦然と散った。それを見た〇〇氏ははっと胸を打たれたと云ふ。さらに、数年前、ある踏切である老女を助けながら自ら命を落とした村田某なる女性の話を続けて語り、仁義のため弱きもののために、燦然と命を捨てる気概に武士道の真髄を見た、侍なきいまも日本人の心に武士道の魂が息付いてゐる、と彼は飄然と語った。

たまたま聞き入った〇〇氏の語りに、筆者は久し振りに心を揺さぶられた。帰化したとは云へ支那人の血が流れる彼の心に沁みてゐる武士道とは、と考えて一瞬思考が停止した。時を同じくして、昨今の日本人のらしからぬ振る舞いの数々が思ひ出され、中央の政府に蔓延るらしからぬ挙動に思ひが至って、筆者は咄嗟に〇〇氏にひと言あるべしと、キーボードを叩いた。

「〇〇さん、昨今の軽薄な日本人に失望しかけている八十六歳の老爺の目にあなたがどう映ってゐるか、ご想像なさってください。桜の民の一人として、あなたに満腔の謝意を表します。深謝。」
数刻後、このサイトから知らせが入った。それが何本も知らせがあって、筆者の書き込みに文字の拍手が寄せられた。
曰く、「凄い。私も86歳になってもネットしていたい(^^♪」
曰く、「「桜の民」良いですね⸜(*ˊᵕˋ*)⸝」
曰く、「貴方様も素晴らしいです。素晴らしいお言葉です!」
そればかりではない。あれから4時間ほど経った今、見れば筆者の書き込みに何と1000個の「いいね」が寄せられている。
唖然と云ふのはこのことか、筆者はいま陶然としてゐる。たまたま宣長を読みかけながら、漢心(からごころ)より大和心(やまとごころ)ぞ、と戒める日々ながらも、不図綴った桜の民のひと言に1000もの賛意を得やうとは愉快な心外、改めてこの国に生を受けたことの幸せをしみじみ思ふ。


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