SSブログ

海の見る夢 №5 [雑木林の四季]

    海の見る夢
      -大切なことはジャズが教えてくれたー
               澁澤京子

 よく晴れた春の日、S君と海を見に行った。港には大きな外国船が停泊していて、空にはカモメが飛んでいた。

「若い時と違って集中力がなくってさ、最近・・」というS君の話を聞きながらブラブラと街を散歩する。特に数学に取り組んでいると、体力の衰えに気が付くのだそうだ。若い時のS君は、いったん集中すると暴走して止まらなくなって、幾晩も徹夜して平気だったし、身体の事なんか何も考えない人だったから余計そうだろう。並はずれた集中力も持続力も、体力の問題もあるけど、ピュアだから持てるものなんだろうなあ・・・と、瞬発力だけあって気の散りやすい私は考える。

運河にかかる橋のたもとには桜があって、川沿いには小さな居酒屋がハモニカの歯のようにズラッとひしめいて並んでいる。モーターボートがゆっくり運河を下っていて、やがて軒の低いアーケードの、まるで昭和30~40年ごろのような懐かしい商店街が続く。居酒屋が多いのは昔から歓楽街だったせいなのか、『ヨコハマメリー』というドキュメンタリー映画に出ていた風景はこの辺だったかもしれない。(元進駐軍相手の老娼婦メリーさんのドキュメンタリー映画)

まるでタイムスリップしたような街のはずれにあるジャズ喫茶「ちぐさ」に入る。店内は暗くてひんやりしていて、初めて来たジャズ喫茶だけど、ああ、この外の明るい陽射しと店内の暗い感じのギャップがなんだかすごく懐かしい…。

「ちぐさ」は戦前からある老舗の名門ジャズ喫茶。移転して今は有志の人たちと協力して営業している。出された珈琲がすごくおいしい。店にいるお客さんは私たちと同世代か少し年上の男女がちらほらと。

「今、かかっているのはエリック・ドルフィ。ピアノがなんかダメだけどな・・(ピアノはマル・ウォルドロンでした)」と解説するS君。ちょっと聴いただけで、アルバム名も演奏メンバーもわかってしまうS君は、音楽も集中力を発揮してじっくり丁寧に聴くし、文章も丁寧に読む、人の事でも何事でもとてもじっくりと丁寧に観察するのでかなり的確に把握していることが多い。そういえば、音楽ってこうやってじっくり聴くものだったなあ・・。本当に音楽が好きだとただのBGMとしては聴き流せない、ましてや、お洒落なBGMとして音楽を小道具に使うのも邪道だろう。(コルトレーンは一曲を最低五回は聴くのだそうだ)音楽に敬意を払うってそういうことだし、それは他の事に関してもそうなのであって、敬意を払うという事は、表層的な部分だけでわかったつもりにならず(自分の狭い知識で判断せず)、早急に結論を出さないで丁寧に見たり聞いたりすることなのだ。何事にも敬意を払わねば・・物事でも人のことでも、わかったつもりになるよりも、わからないままに保留にしておくほうが余程知性の力が必要となる。それにしても、一人で聴くのもいいけど、友人と一緒に聴く音楽ってやっぱりいいよね。

最近は(60分でわかる)式の要約本が多いし、映画も早送りで飛ばして観る人が多いのだそうだ。哲学の要約だったらまだわからなくはないけど、小説って要約して読むものなの?という疑問はある。いい映画も小説も音楽も何度か観たり読んだり聴いているうちに新しい発見があったりわかったりするものじゃないだろうか。自分の人生経験によってはじめて(腑に落ちる)箇所があるのであって、小説は、あらすじを追うだけのものではないし、要約ではうれしい発見も、微妙な情景や心理の味わいもまったくないじゃないの。音楽も丁寧に何回も聴くことによってやっとわかることがあるし、人生経験を積んで初めて心にストンとくる音楽もあるのであって、そうした、芸術を味わうためのゆったりした豊かな時間を喪失するということは文化が衰退してゆくことなのかもしれない・・・文化って無駄な贅沢な時間から生まれてくるものだと思うし、特に芸術の場合、決して頭だけの理解では「わかる」にはならないものだろう・・美術でも音楽でも文学でも、基本は「経験」するものだと思っている。

・・俺の音楽にレッテルを貼るな。~マイルス・デイヴィス

レッテルを貼ったり、カテゴライズしたり、言葉の理解で(わかったつもり)になると、逆に見えなくなるもの、わからなくなるものは多い。

人生をまだ知らない若い時に聴いたジャズの影響は、結構大きかったと思う。その頃のジャズ喫茶に集まっていた友人たちはそれぞれ違う人生を歩んだけど、皆に共通するのは何よりも「自分自身であること」であって、個性が強くて自分の世界をはっきりと持っているために、逆にあまり競争心は持たないマイペースの人が多かった。

ジャズは全体から個ではなく、バラバラの個から全体の調和という方向に向かっていくせいか、いい意味でみんな個人主義。他人から支配されるのも、もちろん他人を支配するのも嫌い。人とは基本的には対等な関係を持つ人ばかりで、上から命令される上下のある縦の人間関係は苦手。他人にへつらったりする人も、見下す人もいないし、相手によって平気で態度を変えるような人もいない。私にとっては付き合って楽な友人ばかり・・要するに正直でフェアな人が多いし、年齢の割に世俗に毒されてない人が多いのは、他人から影響を受けることがほとんどないほど皆の個性が強烈なせいか。

コルトレーン、ビル・エヴァンス、ハービー・ハンコック・・マイルス・デイヴィスが育てた才能あるミュージシャンは数知れない。マイルスの周囲には、まるで磁石に引き寄せられるように才能ある個性的なミュージシャンが集まってきたのだけど、マイルス・デイヴィスは人の才能を伸ばすことにかけても最高の人だった・・

能力が低い人は他人の才能やスキルを発見することも評価することもできないけど、マイルスは自身の能力が高いので他人の才能を誰よりも早く発見することができたし、それを引き出して伸ばすこともできた。
マイルスは自身に限界を設けなかったので、他人の可能性を見つけて伸ばすことができたのだ。

小心者ほど他人を非難したがるものだけど、マイルスは他人のミスにケチつけるとか非難することをしなかっ・・(その代わり、気に入らなければあっさり縁を切る非情さもあったが・・)最高にのっている演奏中、ハービー・ハンコックがコードを間違えた時も、マイルスは何気にその間違えたコードに合わせて演奏を始めた・・・つまり、彼は仲間のミスを黙って引き受けてカヴァーができるほど能力が高かったのであり(かつ優しかったのもある)、状況に対して偏見をもたず、それゆえ臨機応変に新しい音楽を創造できる柔軟さも持っていたのだ・・かっこよすぎるぜ・・マイルス。

・・「自分の外側から聞こえてこない音楽を演奏せよ」~マイルス・デイヴィス

これが一番難しい。音楽も舞踊も、毎日の血のにじむようなストイックな基礎練習と努力が必要とされる。そして、基礎の練習の積み重ねから自分なりの秩序、内的で自発的な音楽を徐々に発見していくのじゃないかと思う。それはちょうど、ビル・エヴァンスのピアノの音が、心の深い底から出てきた音であるように・・彼は自分の音を発見して持っていた・・グレン・グールドも、音楽は内側にあることをある日偶然に発見したし、ラ・チャナというフラメンコダンサーは自分の内部にあるコンパス(リズム)に従って自然に踊るだけだという事を言っていた。(ダンスを教えてくれたのは自身の内なるコンパスだったのだ)画家であったら「他人には見えないものを見よ」となり、詩人だったら「内なる声と言葉を探せ」になるのだろう。

芸術家が、自身の内部に創造力の源泉を模索することは、どうしてもプラトンの「想起」に似ているような気がしてしまうのだけど。

独りきりでいれば独創的になれるものでもなく、無知でいればいいかと言うと逆にステロタイプの思い込みにしがみついてしまうことが多い。自身を掘り下げてゆくのに一番邪魔になるのは雑念や自惚れや余計な思い込み、つまりガラクタのような様々な自身の観念と思いなのであって、それがどんなに邪魔になることか・・最も悪いのは、ただの思い込みや他者からの刷り込みを自分の言葉として錯覚してしまうことなんだけど・・

「大切なのは自分のスタイルを持つこと」~マイルス・デイヴィス

マイルス・デイヴィスはピカソのように、何度も何度も確立した自分のスタイルを破壊しては、再び一から創造していった。相当なエネルギーの持ち主でしかも天才だったのだと思う。一度スタイルを確立すればそこからなかなか抜けられなくなるのに・・・もちろん、自分のスタイルを持つことすらなかなか凡人にはできないことではあるが・・

スタイルを持つという事は成熟した自我を持つということと同じで、それは芸術と関係なく生きている私たちの人生にもあてはまると思う。芸術家がスタイルを確立するまでに、気が遠くなるほどの鍛錬が必要なように、成熟した自我には深い感情の経験、悲しみや歓び、苦しみの経験が必要なのだと思う(修道院の僧や尼僧が、毎日朝晩、詩篇のような激しい感情表出の詩を繰り返し朗誦するのは、自身の深い感情を引き出す効果があるのだろう・・)

そして成熟した自我(スタイル)を持ってはじめて、自我(スタイル)を破壊したり消去したり、新しく再生したりクリエイティブに自由にふるまうことができるのであって、成熟した自我とは、己を知る自我なのだ。

未熟な自我のままではただの大人しいコピー人間が生まれるだけで、自由も創造性もない。ただの未熟な自我は無我とはまったく違うし、本当の意味での無我、つまり創造的にはなれないだろうと思う。成熟した自我を破壊して初めて、無我というものが生まれるのではないだろうか。

昔、S君から「制約があるから制約を超えることができる」という事を教えてもらったけど、己を知ることはすごく難しい。己を知るのは、挫折したり壁にぶち当たったり悩んだ末に、ようやく朧に見えてくるものなのかもしれないけど・・

・・失敗を恐れるな。失敗なんてないんだ。~マイルス・デイヴィス

・・10代~20代の初めにかけて、ジャズを子守歌のように毎日聴いていた私たち。結果はともあれ、恐れることなく様々なことに挑戦することができたのも、身体に無意識に沁み込んだジャズのお蔭なのかも知れない・・そして何かに挑戦するとき、先が不確実で不安定であるそのことがまさに輝くばかりの勇気と力となったのは、若くて向こう見ずだったせいもあるけど、ジャズが身体に教えてくれたことだったのかもしれない。

泣きたくなるほどの優しさも恋の痛み、孤独、生きる辛さも歓びも教えてくれたのはジャズだったし、人生には陶酔の瞬間があることを教えてくれたのもジャズだった・・ そして、どんな状況でもアドリブで切り抜けられることを教えてくれたのも、ジャズだった・・

リクエストしたコルトレーンの『Selflessness My Favorite Things 』を、S君と並んで座って黙って聴く暖かい春の日であった。




nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。