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論語 №118 [心の小径]

三六八 公伯寮(こうはくりょう)、子路を季孫(きそん)に愬(うった)う。子服景伯以て告げていわく、夫子もとより公伯寮に惑志(わくし)あり。わが力なお能くこれを市朝に肆(さら)さん。子のたまわく、道の将に行われんとするや命なり。道の将に廃(すた)れんとするや命なり。公伯寮それ命を如何せん。

          法学者  穂積重遠

  「公伯寮」は魯の人。『史記』には門人の一人のように書いてあるが、そうではないらしい。
  「子服景伯」は魯の太夫。子服は氏、景ほおくり名、伯は字。名は何。「肆」は罪人の死骸をさらしものにすること。「大夫は朝においてし、士民は市においてす。」とある。

 公伯寮が子路を李孫に讒言した。子服景伯が憤慨してこれを孔子に告げ、「李孫は元釆公伯寮を疑っているのですから、私の力でもかれを誅(ちゅう)して、街頭なり役所なりにさらしものにすることができます。やっつけてしまいましょう。」といきまいた。孔子が言われるよう、「イヤイヤ捨ておかれい。道が行われるのも天命です。道がすたれるのも天命です。公伯寮ごときが天命をどうし得ましょうぞ。ご心配あるな。子路も安心せい。」

  「夫子もとより云々」を、李孫は公伯寮に迷わされて子路を疑う気持があるから打捨ておかれません、の意味に解する人もあるが、日本文に読み下しての口調からいうと、どうもそうではないらしい。

三六九 子のたまわく、賢者は世を辟(さ)く。その次は地を辟く。その次は色を辟く。その次は言を辟く。子のたまわく、作(た)つ者七人。

 二章にした本もあるが、後段がそれだけでは意味をなさぬ放接続させた。

 孔子様がおっしゃるよう、「賢人が仕えずに避け隠れる場合が四つある。第一は、天下無道なれば隠れる。第二に、乱国を去って治邦に行く。第三に、君の容貌態度が礼を失えば去る。第四に、君を諌めて意見が合わなければ退く。かような行動をとった昔の賢人が七人ある。」

  「七人」をかぞえ立てる人もあるが、結局当推量(あてすいりょう)だ。前にもいったようにこの辺は中国当時の国情についての話故、深く論ずることもあるまい。「その次」「その次」とあるところをみると早く見限りをつけた方がより賢明、という意味がありそうだ。しかし孔子様自身この「賢人」たちにならおうとはされなかったのである。

三七〇 子路、石門に宿す。晨門(しんもん)いわく、いずれよりする。子路いわく、孔氏よりす。いわく、これその不可なるを知りてこれを為す者か。

 「晨門」は早朝に開門する役、すなわち門番。

 子路が魯の国境の石門という関所の手前に一泊して、翌朝門を通ろうとしたら、門番が「どこから来たか。」とたずねた。子路が「孔家の者だ。」と答えたところ、門番の言うよう、「それではあのだめだと知りながらあちこちしている人の所からか。どうもご苦労様なことじゃ。」

 「展門」も前章「七人」の類であろう。この門番や次章のモツコかつぎのように、「だめだと知りながら」とひやかす「賢人」たちが相当あったらしいが、「だめだと知りながら」やむにやまれぬところが孔子様なのだ。古註にいわく、「晨門は世の不可なるを知って為さず。故にこれを以て孔子を譏(そし)る。然れども聖人の天下を視(み)ること為すべからざるの時なきを知らざるなり。」

『新訳論語』 講談社学術文庫




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