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批判的に読み解く歎異抄 №26 [心の小径]

『異議編の批判的読解~歎異抄の著者唯円の立場』を掲載するにあたり、「全体の構成」中の註・資料を省略しましたが、「おわりに」に入る前に改めて註、資料の部分を付記して紹介します。


歎異抄の構成

1、全体の構成
 まず『歎異抄』全体の構成を通説(『欺異抄(文庫判)現代語訳付き』本願寺出版社、2002年、150頁)に従って確認しておくと、『歎異抄』という題号(名)の後、最初にこの部分だけ漢文で書かれた「前序」、次に親鸞聖人の語録である「師訓篇」が一条~十条まで続いています(本願寺派『浄土真宗聖典』831-837頁:大谷派『真宗聖典』626-630頁)。この十条は「「念仏には無義をもって義とす。不可称不可説不可思議のゆえに」とおおせそうらいき」となっており、前回確認した三条同様、「おおせそうらいき」で終わっていて「と云々」が省かれていると見ることができますので、これは法然上人が仰せになったという意味だと受け取ることができます。
そしてその後、「そもそもかの御在生のむかし…」から十一条の前までのところに「中序」或いは「別序」と呼ばれるくだりがあって、そしてそこに「上人(親鸞)のおおせにあらざる異義どもを、近来はおおくおおせられおうてそうろうよし、つたえうけたまわる。いわれなき条々の子細のこと」とありますが、この「中序」に続き十一条以下にそうした「異義」「いわれなき条々」に対する批判が述べられておりますので、十一条~十八条までを「異義篇」と言うわけです(本願寺派『浄土真宗聖典-註釈版第二版-』837~851頁:大谷派『真宗聖典』630-639頁)。さらにその後、「後序」(いわば「あとがき」)があって、最後に「承元の法難の顛末」(流罪の記録)が付されています(本願寺派『浄土真宗聖典-註釈版第二版-』851-856頁‥大谷派『真宗聖典』 639-642頁)。この「流罪の記録」については載せていない写本もありますが、全体の構成については大体こういう見方が一般的だと言えます。
『歎異抄』全体の構成に関する通説以外の他の見方については、後ほど時間があれば若干触れるかもしれませんが、今日は詳しく立ち入ることはできません。そこで、配布資料の4-5頁に、通説のほか佐藤正英説(1)、近角常観説(2)、西田真因説(3)を紹介しておきました。関心のある方は目を通しておいて下さい。

(註1)佐藤はもともと『歎異抄』は、まず①別序(通説の「中序又は別序」)、②十一条~十八条(通説の「異義篇」)、③後序(通説「後序」の前半部分)が『異義条々』として一冊にまとめられ、次に④和文序(通説「後序」の後半部分)、⑤漢文序(通説の「前序」)、⑥一条~十条(通説の「師訓篇」)、⑦流罪の記録としてまとめられた部分であるいわゆる『歎異抄』という二冊から成っていたと主張している(佐藤正英『(定本)歎異抄』青土社、2006年、137‐150頁)同『歎異抄論釈』青土社、2005年、107‐231頁)。
(註2)近角は上段(一条~十条の語録)と下段(十一条から十八条の欺異)に分け、一条と十一条、二条と十二条、以下次第して九条と一九条が前後照応していると見る『歎異抄』の捉え方を提唱している。「師訓篇」を九箇条と見るもので、十条は「異義の徴標」とする(近角常観『欺異抄愚注』山善房書林、1981年。なお、曽我量深「歎異抄聴記」『曽
我量深選集第六巻』弥生書房、1979年〔五版〕、70‐71頁も参照)。
(註3)西田は「師訓篇」を八条までとし、「師訓篇」と「異義篇」は逐一対応しているとは言えないが、いずれも八箇条あるという形で数的に総体として対応しているとする。そして、九条を「師訓篇」の後序と見ており、十条を二つの部分に分割するのは間違いだとしている(『西田真因著作集第一巻欺異抄論』法蔵館、2002年、3‐37頁)。

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より


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