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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №46 [文芸美術の森]

第七章 「小説なれゆくはて」 11
 
      早稲田大学名誉教授  川崎 浹

「私はすでに死んでしまっているのです」

二月三日
 東急本社勤めの、開発課係長というのが来、川名に行って新築を見て来た、内には入れなかったが田端氏にも会って話を聞いて来た。どうやらコブタが失礼な事を言ったようでまことにすみません。あの男は実は東急とは何の関係もないのです。彼のやっている事は本社の委託でも契約でもなく、彼独自の仕事です。とにかく以来彼の本社への出入り禁止にしています。色々失礼したようですが、とにかく田端氏がお気の毒です。田端さんも先生の事を心配しています。先生も田端氏の立場を考えたらどうかと思っています。これから度々私もお伺いしてご相談する事になると思いますが社員の田村もお伺いさせます。コブタはもちろん、東急の人にも最早だれにも会いたくないと思っている処です。田村君は何度か私にウソをついている、彼には最早会いません。だれにも会いたくないし又会う必要もなくなったのです。私がここに居る居ないはただここの地主との問題だけで外に何も関係ある人はありません。(省略)
…係庭は何のために来たのが言わないで行ったが謝りの文句をいいに来たのが田端氏のことで来たのか、玄関に送って私を無理にでも川名へ追い出そうと手を替え品を替えてやってみるが、もしここから私を追い出すなら一番てっとり早い方法がある。教えてあげましょう。あそこに井戸がある。私は毎日あの水を飲んでいる。あの井戸に少しでいいからセイサンカリを入れる事だ、それで難なく片づいてしまい、だれも分からないし、文句も言われないですむ、そんなことはおっしゃらないがいいですよ、先生の人格に関しますから。でも私はすでに死んでしまっているのです。
 ▲木の節ひとつたがわずアトリエを建てろと注文したのは、自然を破壊する開発業者への批判、その現場をになう者たちの態度への嫌気から出た行為だろう。自分から望む移転と新築ではないので、新アトリエの所有者は開発業者の名義にして、市に寄付する。自分は管理人として居住する。税金など市民としての義務は高島が果たす。高島の死後はアトリエを市に返還する。これが画家の考えついた大義名分であり、抵抗だった。

二月五日
 能登から琵琶湖、京都への旅に立つ、三泊、留守中たいした変わりもなかったらしい、家の廻り。

二月十日
 裏で木炭を切っていたら睡蓮池の向こう側に急にブルドーザーがやって来て地ならし土盛りを始めた。見向きもしないで炭を切りつづける。

二月十一日
 作業の親方裏口に来て、りつばな家が出来ているそうだが早く引っ越したほうがいいのではないかと言った。こちらが提案したとおりではなく逆ばかりやっているので引っ越すわけに行かない、ここに居つづける。君等が困るようなことはしない、君等もここだけのこしてさっさと工事を進めたらいいだろうと言ってやる。

二月十四日
 南方地所へ侵入、二間位こちらを食った、山ほどの土を盛った、この事、一応地主に手紙で通知。

二月十九日
 番頭と東急社員田村とが来た。来たら会わないと追い返してやろうと思ったが何を言うか一寸聞いてもいいと入れてやる。先日本社の係長というのが来たが田村君はウソつきだから会わないと言っておいた。あの係長の命で来たのか。あれは私達の上役ですが今日はその命令ではありません。川名に行って来ましたがあちらは暖かいですよ。行かれたらいいと思うんです。これほんとうに心からですよ。私は高島さんのためにやっているのです。ウソなんかつきません。実を言うと私達の立場が一番つらいのです。本社からは安く上げろとガミガミ言われるし、地主さんの方からは高く高くと言われるし、実の処地主さんの味方になった気でまとめないと成り立たないし、むしろ地主さんのために頑張っているようなものです。高島さんの問題だって事実本社を向こうに廻して頑張りけんかしているようなものです。つらいですよ。だから文句なしでもう止めたほうがいいだろう。

三月一日
 田端と請負師から手紙来る。田端氏は南方作戦に従軍して幸い復員して帰って来たら父は一ケ月前に死んだと初めて知り、孝行したいときには親は無しと感無量であった。高島先生は死んだ父にそっくりよく似て居られる。父のような気がしてならないと書いてある。請負師は房州はすっかり春になりました、とても暖かいです。菜の花が盛りと咲きみちておりますとある。だから是非早く引っ越していらっしゃいとは書いて無い。

三月十九日
 番頭と東急の田村来る。

三月二十一日
 伊藤氏来る。先日コブタが来た由、色々ここの高島の様子をさぐり聞きして行ったとのこと。
▲文中に伊藤氏とあるのは、最初に奥さんと遠に土地探しで相談にのった伊藤武氏のことと思われる。

四月八日
 南風吹いて団地の土を吹きこんで来て室中土だらけ。

四月二十五日
 歌舞伎座でケガ。救急車で木挽町病院に運ばれる。
▲高島さんが劇場の階段から転落して足を骨折したとの知らせを受けたので、私は五月十二日に画家を見舞った。当時私は腎炎に握っていたので二度目は行けなかった。六月十二日に、画家から前月末に退院したとの知らせを受けとる。

五月二十九日
 退院帰宅。

六月二日
 柏市役所に出かける。まだ足が丈夫でないからそろそろ行く。納税、老人年金帳、帰りに伊藤宅に一寸立ち寄ったら、先日東急の男来たそうだが、とにかく個展やるまではだめだと伊藤氏言っといたと。館山市から新築の納税通知書来る。ほうっておこう。新築には高島宛て納税命令が来たが、地所への納税は通知なし、地所はどうしたのか。

『過激な隠遁~高島野十郎評伝』 求龍社


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