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日本の原風景を読む №18 [文化としての「環境日本学」]

コラム 花を奉るの辞

  早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

 春風萌(きざ)すといえども われら人類の劫塵いまや累(かさ)なりて 三界いわん方なく昏し
 まなこを沈めてわずかに日々を忍ぶに なにに誘なわるるにや 虚空遥かに一連の花まさに咲(ひら)かんとするを聴く
 ひとひらの花弁 彼方に身じろぐを まぼろしの如くに視れば 常世なる灰明かりを花その懐に抱けり
 常世の灰明かりとは この界にあけしことなき闇の謂(いい)にして われら世々の悲願をあらわせり 
 かの一輪を拝受して今日の魂に奉らんとす
 花や何 人それぞれの涙のしずくに洗われて咲き出づるなり
 花やまた何 亡き人を偲ぶよすがを探さんとするに 声に出せぬ胸底の想いあり そを取りて花となし み灯りにせんとや願う
 灯らんとして消ゆる言の葉といえども いずれ冥途の風の中にて おのおのひとりゆくときの花あかりなるを この世を有縁という あるいは無縁ともいう その境界にありて ただ夢の如くなるも 花
 かえりみれば まなうらにある者たちの御形 かりそめの姿なれどおろそかならず
 ゆえにわれら この空しきを礼拝す 然して空しとは云わず
 現世はいよいよ地獄とや云わん 虚無とや云わん ただ滅亡の世迫るを待つのみか ここに於いて われらなお 地上に開く.輪の花の力を念じて合掌す

 「花を奉るの辞」は、石牟礼さんの人間像を描いた晩年のドラマ、レポートにしばしば引用された不思議な、強く印象に残る文章である。
 その由来を石牟礼さんに聞いた。

――「熊本無量山真宗寺の御遠忌のために」と付記されています。なぜそのお寺さんへ。

石牟礼 『苦海浄土』を書いているころでした。ある日、熊本市にある浄土真宗のお寺の娘さんという方が、私を訪ねてきました。「お寺に話をしに来てほしい」ということでしたが、住職は警察につかまったりする青少年を引き取り、一緒に暮らしているとのこと。
 ご住職は親鸞の自称愚禿に習い 「自分をハゲと呼べ」と言い、青年たちから「ハゲちゃん」と呼ばれて嬉しがっている人です。
 私は十六歳で代用教員をしていました。本当は制服を着て女学校へ行きたかった。夕方になると八代高女の同じ年頃の娘たちが窓の下を適って行くのを見て、涙をポロポロ流していました。教え子のわんぱくたちが見答めて「先生なして泣くと」と言って背中をなでるのです。
 嬉しかった。そのことを思い田して、真宗寺の不良少年たちと仲良くなっていきました。優等生よりか、ちょっと悪いことをするような子どもたちが私は好きなのです。

―ー「花を奉るの辞」を書いている時に、石牟礼さんはご自身がご存知の誰か、つまり具体的な人間像を思い浮かべていたのでしょうか。

石牟礼 具体的な人間像ばかりが思い浮かびます。私はそういう人たちに囲まれて育ちました。ものを考えてきました。

 インタビューの前半で、石牟礼さんは前出「海よ、ふるさとよ、よみがえれ」の項で、吉本哲郎さんが紹介した杉本栄子さんについて語った。杉本夫妻は前出の緒方正人さんらが結成した「本願の会」のメンバーだった。

石牟礼 栄子さんの船「海栄丸」が出漁するとき、村の子どもたちは気配で知っていて寄ってくるんです。学校に行かないで乗せてもらって漁の仕方を学べるし、魚も分けてもらえるからです。「お前また遊びに来んね。たまにゃ学校にも行かんば、学校の先生は給料の減っとぞ。ちっとは義理ちゅうもんば考えて学校にも行け。落第もせんごつ」。そう言われて栄子さんに育ててられた人間がたくさんいるんです。
 市場でとってくれない小さな魚とか、網にひっかかって千切れた魚をほしがって、ネコやキツネたちがつま先立って、頂戴するような雰囲気で船着き場に集まってくるんだそうです。栄子さんはソイ、ソイ、ソイ(ホラ、ホラ、ホラ)と言って魚を放すと、ネコもキッネもそれをくわえて帰っていく。
 杉本栄子さんは、菩薩さまです。観音さまか菩薩さまか、私はずっとそう思っていました。
 書斎の机の引き出しから石牟礼さんが取り出した「花を奉るの辞」の、巻紙に記された原稿には、朱色の文字が踊っていた。そして「かえりみれば」以下の文章は、次のように推敲されていた。

― なんとなれば 亡き人々の思いきたりては離れゆく 虚空の思惟像なればなり しかるがゆえにわれら この空しきを礼拝す 然して空しとは云わず おん前にありてただ遠く念仏したまう人びとをこそ まことの仏と念うゆえなればなり 宗祖ご上人のみ心の意を休せば現世はいよいよ地獄とや云わん 虚無とや云わん ただ滅亡の世迫るを共に住むのみか こゝに於いて われらなお 地上にひらく一輪の花の力を念じて合掌す


『日本の「原風景」を読む~危機の時代に』 藤原書店




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