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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №43 [文芸美術の森]

「第七章 「小説なれゆく果て」7
 
        早稲田大学名誉教授  川崎 浹 
  
それでは仕様がない、あの家に行く事にはならぬ」

十二月二十三日
番頭来て、洲の岬の寄付は田端が市長と話をつけてきまった、との電話があった事、ついてはいつ引っ越すか早くやってくれと言ってきた、その寄付人の名義はだれになっているのかと言ったら、それは知らないという。それでは仕様がない、あめ家に行く事にはならぬ、と突っぱねる、彼帰去。
 夕方土地の東側に多くのブルドーザーがやってきた音。ここは東西南北田地に周りかこまれて一メートル位の高地になっている。その田圃を土盛り始めた。ブルドーザーが土を運んできては埋めならして行く。家がぶるぶるとふるえる。夕方までにこちらと殆ど同高にした。地主に知らせるべきだと出かけて行き、地主の玄関で叫んだが返事しない。皆いるらしい。ガラス戸に人影が映ったりする。もう暗くなっていたので叫ぶのをやめてポケットにあった有り合わせの紙片に大体の事情をかいて郵便受けに差し入れて帰る。
 ▲野十郎はかつて久留米に暮らしていたときの経験で、田畑の境界線について詳しく知っていたので、現在起こっている事態が地主に不利ではないかと書いて知らせている。しかし恐らくここの地主も野十郎を立ち退かせようとしているので、知らぬふりをしている。

十二月二十四日
 土盛りつづく、特に南方は庭に二間位侵略して土を盛った。一間位の山を造った。玄関、畑を一間幅道路として借りている畑もブルドーザーで引きかき廻して土を敷いた。道が無くなった。水くみに裏に出たら睡蓮池の向こう側に郵便屋がどこから行けばいいのですかと叫んでいる。こちらに来てくれと玄関前で受けとる。
 夕方村の懇意な人、一人の男を連れて来、道が分からないので案内してくれと頼まれてきたとM銀行相支店付きという名刺、入れて画室に通す、昨日東急に小切手を振り出した、それを高島さんに渡すため東急の社員とコブタとが行くから立ち会ってくれとの話で来たとのこと、では今にくるでしょうから待っていたらいいでしょう。だがなかなか来ない。どうせ仕事もないし、少し話し始める。一体何の金を渡すのですか。知りません。私の方には受ける金なんか一銭もないのですが、反対に房州に新築している家が少し建坪が広くなっているのと瓦などオーバーした費用をこちらで払うと言っているのでこの金を取りに来ると待っている処でこちらにやる金なんかないはず。又持ってきても受け取りません。そういうことになると何だか又たくまれてでもいるようで警戒しなくてはなりません。実は房州に新画室を建ててそれに移れとしきりに言ってきている処ですが、こちらから提案したことをやらずにその道をやるので移らないと言っている処で、これを無理に私を移すとしたらその計画どうなるのですか。あなたはまだお若いが利口そうな方だからご意見を聞かせてもらいたいですが、私はここだけが安住の地です。外にこの両足の裏で立つだけの土地がありません。ここを追い出されたら行く処は公道だけです。これも歩きつづけるだけで立ち止まったり腰かけたりは許されません。公園はベンチも休息できますが、夜は禁止の処がある。宿屋も無任所者は泊めてもらえません。私をここから追い出せば戸籍がなくなるのです。つまり私は日本人ではなくなり、結局国外追放でシバ舟にのせて領海外に突き出されるのが落ち。ということになりますね、と銀行員も賛成した。いくら待ってもコブタ達こないので、これ銀行のカレンダーです、毎年西洋の名画を刷っているのですと置いて彼ら帰去。
 ▲私の日誌では十一月十七日(日曜日)に増尾の高島さんを訪問している。そのとき土地の検分に同道する話がきまった。検分は十一月二十五日ではなく、二十三日(勤労感謝の日)に「高島氏の土地の件で房総へ。夜十二時帰宅」とある。祭日で大学が休みなので同道できた。また真聞手古奈(ままのてこな)の話を聞いたのもこの日らしい。

『過激な隠遁~高島野十郎評伝』 求龍社


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