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じゃがいもころんだⅡ №37 [文芸美術の森]

錦さん

          エッセイスト  中村一枝

 毎日のようにコロナの死を聞く今日この頃、人の死に対してどこか鈍感になっているような、不遜な気がしていたのだが、義理の妹に当たる斎藤錦さんの突然の死を聞いてからというもの、無力感にとらわれている。心筋梗塞だった。
 亡くなる一ケ月ちょっと前くらいに、ふらりと下北沢からやって来て、三時間ほど楽しいときを過ごした。ここ一、二年、お互いの健康上の理由やら何やらで、電話でしゃべることはあっても、向かい合い、ひざを突き合わせての語らいは本当に久しぶりだった。それが最後になるとは夢にも思わず、それぞれの胸の内を洗いざらいはきだしたくらい楽しい語らいだったと今は思う。彼女の持つおおらかさ、明るさ、やさしさ、といったものが一つずつ思い出されて、かけがえのない仲間を失った気がしてくる。
 錦さんは熊本出身。いわば汀女さんの後輩に当たる。彼女が汀女さんの嫁として下北沢に来てからも、バスで三十分、電車で四、五十分くらいの距離なのに、お互いの日常にかまけて、特に大森と下北沢の距離を縮めるようなことはしなかった。
 考えてみると、私はずるく立ち回って危なそうなことからはさっさと逃げ出した。
 汀女さんという人は、人間的にも、姑としても、いわゆる姑根性といった意地悪な所は何も無かったが、当時の私は少しおっかないという気はしていた。そのおっかない人を若い義理の妹にさっさと押しつけて自分は涼しい顔をしているという負い目も、どこかにくすぶっていた。いつかは錦さんに平身低頭して私の身勝手とわがままを許してもらいたいと思っていたのだ。その錦さんが、私が許しを乞う前にさっさとあの世へいってしまったのだから、私は下ろしたい頭の持って行き場がない。
 今もって、錦さんのやさしさ、おおらかさが思い出され、私は、今、自分の至らなさにほぞをかんでいる。
 錦さんは中村家の次男の嫁である。長男夫婦(つまり私と夫)が別に家を構えたあと、下北沢の家に同居して持前のおおらかさで家を切り盛りしてくれた。今思い出してみても、汀女さんは、錦さんへの不満や愚痴をひとこともこぼしたことがなかった。長い間一緒に暮らして、彼女のおおらかさ、暖かさ、夫や子どもへの深い愛情などをはっきりと感じ取っていたのだろう。
 嫁と姑といえば、汀女さんを巡る私たちの関係をいつも思う。嫁姑の関係は、このさき、どんなに世の中が変わっても多分ずっとつづいていく。時代が変わっても、方程式に当てはまらない、不自然な関係、いつかどこかでくすぶってくる。実はちょっと肩を外せば何のことはないのに、その肩を外すことがとてもむずかしい、変な関係なのだ。この先、百年後の身の上相談の欄に、今と同じように嫁と姑の関係が載ることは間違いない。錦さんは肩を外すのが自然にできた人だった。


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