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日本の原風景を読む №16 [文化としての「環境日本学」]

水俣湾、二つの原風景 1

  早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

「魚の精霊」の声

 水俣病の発生が公式に認定されてから五〇年、『西日本新聞』の社説は「魚の精霊」の声を聞くことを主題に書かれた。
 ― その時地底から声が聞こえたような気がしたのです。「思い出してください、そして忘れないでください、あなたとわたしと、この事件の関係を」という声でした。埋めたて地には水銀ヘドロだけではなく、かって湾口に設けられた仕切り網の内側で獲ったおびただしい量の汚染魚を密封して埋めました。声の主はこれらの魚の精霊だったのでしょう。
 東京ではこのような社説は書けない。筆者は毎日新聞論説委員を長年つとめてきたが、精霊の話など社説で書いたら「どうかしてるんじゃないか」と言われるだろう。しかし社会問題としての水俣病を論じる『西日本新聞』の社説は「魚の精霊」をキーワードに据えている。

 ― 胎盤とへその緒を通して、メチル水銀に犯された胎児性患者も相次いで生まれ、胎児性患者の母親はこの子を宝子と呼んで愛しみます。自分が食べた水銀毒をこの子が全部吸い取ってくれた。私の命を守ってくれた。だから宝子なのだ、と。胎児性患者が命懸けで母を救ったように、何ら落ち度もない沿岸の漁村部の人々が私たちを等しく襲っても良かった近代の毒を、一身に引き受けたのです。私たちに必要なのは地域の人々が負い続けている苦しみを、自からの痛みとして感じる想像力ではないでしょうか。それがなくては水俣病事件は「過去に日本列島の、とある片田舎でおきたこと」として歳月とともに霞んでいくからです。
 この半世紀、水俣病事件をなるべく小さくとらえようとする国や県等の行政側と、そうでないとする被害者側が、激しい対立史を刻んできました。このままでは山裾のように広がる事件の全容は掴めず、全ての被害者が救済される日も訪れません。埋立地の地底からの声に促されたように、水俣病事件と個々の関係を心に結び直す日になればと願っています。底知れない痛みを私たち一人ひとりが共有しつつけてこそ、真の解決につながると信じるからです。

  精霊というのは「万物の根源を成すという、不条理な、不思議な気」とされる。万物の根源を成すという不思議な気。私たちは神社境内の清めの水で手を洗ってから神の気配を拝む。
 その流儀から文化の基層にある「モーレス」(mores)に思いは及ぶ。自己の利益を失っても、水を汚してはならない。それは懲罰を伴う社会規範である。法律を始めとする社会の制度、モラルは「モーレス」に支えられている。「精霊」も「宝子」の概念も、水俣では抜き差しならぬモーレスにつながっているのだ。水俣には「もだえ神」もいる。共に苦しみを分かち合う、手助けしてくれる民衆の神である。
 胎児性水俣病、母親の体内の水銀を吸い取って、自らが犠牲者になって生まれてきた心身に重度の障害を持った子どもを、ある患者は宝子という。石牟礼遺子さんの作品『苦海浄土』は「苦界」と「浄土」という対立する仏教の概念を一つの言葉のように用いている。この「宝子」という概念も仏教徒でなければおそらく発想しえなかった実存ではないだろうか。『西日本新聞』社説の「魚の精霊」の声は「一切衆生悉有仏性」の仏教倫理につながる。それは生ある者への慈悲、仏の領域に至る深い思いであろう。
 我々の心のどこかには、仏教によって培われた「モーレス」に発し、他者の痛みを共有する感性と能力が自ら備わっているように思われる。「精霊」「宝子」という概念。「痛みの共有」そして「魚の精霊」との交感。五〇年を経て社会問題水俣病が、なお我々に問いかけてくる重要な概念であろう。

妖怪、ガゴたちの不知火海―『苦海浄土 わが水俣病】の作家石牟礼道子さん

 水俣出身で、自ら水俣病地域に生まれて育ち、『苦海浄土―わが水俣病』を一九六九年に出版した石牟礼道子さんは、本の扉に水俣病に苦しむ人々の姿を法華経の一節に托して記した。「繋がぬ沖の捨て小舟 生死の苦海 果てもなし」。
 夕闇迫る不知火海の岸辺、海鳴りの底から苦界を悼む読経が伝わってくるようだ。しかし、かつて水俣の海は喜びの浄土であった。

 年に一度か二度、台風でもやって来ぬ限り、波立つこともない小さな入り江を囲んで、湯堂部落がある。
 湯堂湾は、こそばゆいまぶたのようなさざ波の上に、小さな舟や鰯籠などを浮かべていた。子どもたちは真っ裸で、舟から舟へ飛び移ったり、海の中にどぼんと落ち込んでみたりして遊ぶのだった。
 夏は、そんな子どもたちのあける声が、蜜柑畑や爽竹桃や、ぐるぐるの瘤を持った大きな櫨の木や、石垣の間をのぼって、家々にきこえてくるのである。 (「山中九平少年」、『苦海浄土』)

石牟礼遺子さんに問うた。
 ― 命の賑わいを取り戻せ、というのが水俣病患者たちの合言葉になっているように思えます。
 石牟礼 水俣のいのちの賑わいの象徴、いのちの大王みたいな存在が妖怪ガゴではないでしょうか。今ではチッソのカーバイト残浮の埋め立て地にされてしまった弓なりの海岸線(「大廻(まわ)りの塘(とも)」)の辺りにガゴたちが住んでいて、人間とふれ合う物語が伝わっています。
 ガゴとの出会いを物語る人は、自分は生きているということ、人間世界よりももっと濃密な生き物の世界に入り込んで、ガゴの仲間であるかのような気分で物語を創作するのです。私は子どものころ大廻りの塘で遊ぶのが大好きで、ススキの草むらに分け入ってキッネになりたくて「コン、コン」と鳴いたりしていました。よかおなごに化けたくて(笑)。
 夕方遅くまで遊んでいるとガゴが出てくると大人たちにおどかされました。ガゴは後からかぶさってきてガジ、ガジ、ガジと噛むのだそうです。そのガジがちっとも痛くない。甘噛みなんですよ。水俣の到るところにガゴがいて、田平のタゼとか、モタンのモゼとか、ガゴには戸籍があるのです。
 ―「魚の精霊」とは?
 石牟礼 余りにも苛酷だからでしょうね。水俣病問題が。膨大でつかめない。その時に仏様からの頼みの個が、芥川(龍之介)が書いたあの一本の綱が目の前に降りてきて、それにとりすがる。精霊とはいのち綱ではないでしょうか。

                (熊本市の山本内科病院に併設された書斎で)


『日本の「原風景」を読む~危機の時代に』 藤原書店

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