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いつか空が晴れる №97 [雑木林の四季]

          いつか空が晴れる
           -キャンディ~リー・モーガンー
                                       澁澤京子

   足の不自由だった父が、ついに寝たきりになってしまった。右足の甲の部分の傷(いつの間にかできていた)が化膿してしまったのだ。毎日看護婦さんがやってくるけど、妹と二人で父のおむつを替えたり食事を作ったりでなかなか出かけられなくなってしまった。父のベッドの足元の暖炉の棚に、窓に灯りの灯る小さな家や灯りのつく小さなお店、ソリで遊ぶ子供などのクリスマスの飾りつけをした。(こう書くとまるで暖炉付の立派な寝室に父が寝ているようだけど、一階のリビングが父の病室になっているだけ)

父は子供の時丸顔だったせいか、父の兄や姉たちからは「みかんちゃん」と呼ばれていたらしい。祖父のお葬式の時、普段それほど仲良くもない兄弟たちが集まり、みんなから「みかんちゃん」と呼ばれてとても嬉しそうに笑っていた父。あの時楽しそうに談笑していた父の姉たちも兄ももうこの世にはいない。「雪の降る夜は楽しいペチカ・・」(北原白秋)や「あの町この町日が暮れる・・」(野口雨情)の童謡を聴いて育った父は大正生まれ。冬の夜の家の灯りがぽつんとみかんのように・・という詩を書いたのは確か父だった。

佐藤春夫の『美しき町』という短編小説がある。画家である主人公の幼馴染の川崎がアメリカから帰国する。川崎の父親はアメリカ人で莫大な遺産を残して亡くなった。その遺産で広い土地を買って100軒ほど家を建て、町を作りたいというのだ。その町の美しい家には誰でも無料で住めるが、ただし条件がある、恋愛結婚した夫婦であること、そして役人、商人、軍人は除く、もちろん拝金主義者は除く、必ず犬を一匹買う事、などなど。隅田川の中州に広い土地があるというので、画家と川崎と、老建築技師の三人は川崎の滞在するホテルに集まって、毎日打ち合わせをする。紙細工で街の模型も作って、ガラスを川に見立てる。紙細工の家の中には豆ランプが仕掛けてあって、部屋の灯りを消して、灯りをつけると小さな家の豆ランプが灯ってガラスの川に映る・・・

・・私は生きて動く大きな芸術品としての美しい町を考えた。・・私は金に飽かして建てられた永久的な石造りの家々から成り立って、それが美しいリズムをして並び重なった大きな市街が世界のどこかの丘の中腹にあることをよく空想した。・・

川崎は作曲家でもあるので、『美しき町』のための曲をピアノで演奏する。(いったい、どんな曲だったんだろう?)しかし、街づくりの計画はいきなり頓挫する。莫大な遺産などなかったのだ・・・

影絵による幻想劇のような『美しき町』。父は佐藤春夫のこの小説が好きで、昔、話して聞かせてくれたことがあった。今回じっくりと読み返してみると、ウィリアム・モリスの名前が出てきた。おそらく、ウィリアム・モリスのアーツ&クラフト運動の影響を受けて『美しき町』は書かれたのだろう。

ヴィクトリア朝の贅沢な文化の時代、裕福な中産階級に育ったモリスは芸術を民衆に解放するための社会主義運動を始めた。機械による画一化された商品に反対していたモリスは今日のファストファッションやファストフード、廉価な使い捨て商品と使い捨て文化を見たら猛烈に反発して嫌悪するだろう。自身が工芸職人で手仕事を大切にしていたモリスにとって機械による量産品は醜悪なものだったのだ・・儲け主義は人々に古いものをどんどん捨てさせ、安価な新しいものを購入するように強要する。

・・・まさに競争的商業の本質こそが無駄の生産なのだ。・・・『素朴で平等な社会のために』ウィリアム・モリス

金儲け主義と競争主義はそのまま自然破壊につながり、また戦争にもつながってゆく。金儲け主義のシステムは臆病で貪欲な利己心によって支えられているからだ・・自由経済と売らんかなの商業主義がいかに芸術を破壊してしまうのか、拝金主義と競争社会がいかに人間の品性を損なってしまうものなのか、モリスの美意識は生活や人の在り方にも及ぶ。
モリスの社会主義は、あくまで対等な横の関係である友愛が基本。支配被支配の縦の人間関係からは、権威や力には素直に盲従しエゴイズムのためには他の人間を平気で利用したり踏み潰したり、また弱者には居丈高にふるまうような歪んだ人間が生まれてくるだけだろう。支配被支配の人間関係に依存していれば、自我が未熟で自律した判断力も感受性も持てずただ高価であるだけで価値があると思い込むような審美眼を持たない消費者、世間に流されやすく自分の価値観を持てない人間、地位や肩書だけで安易に人間性を判断するような人間、自分がどう生きるかより他人からどう思われるかが最大の関心事になるような主体性のない人間が増えるだけだろう・・要するに「見せかけだけ」の虚栄の社会。モリスの目指していた友愛と横の連帯はこうした見せかけの人間関係や拝金主義と競争社会を破壊し、芸術と暮らしの歓びを復活させるものなのだ。

労働者こそ詩が必要だと言ったシモーヌ・ヴェイユのように、ウィリアム・モリスは労働者にこそ美しい生活が必要だと考えた。そしてその幸福な生活のためには芸術は何よりも不可欠なのである・・人を幸福にするための芸術。ウィリアム・モリスの思想は今の時代もっと見直されてもいいと思っている。そしてまた、モリスの洗練されたテキスタルデザインは今年流行のレトロなシルクドレスにシックでちょうどいいんじゃないだろうか・・

以前、F君から昔の百軒店の古い地図のコピーを貰ったことがあって父にそれを見せると、この地図をもとに昔の百軒店の町の模型を作ると楽しいね、という話をしたことがあった。その時、父の頭の中には佐藤春夫の『美しい町』の紙細工の町の模型があったのだと思う。小さな豆電球の灯る昔の百軒店の模型・・ジャズ喫茶がたくさんあったころの渋谷百軒店と、どこにも存在しない佐藤春夫の『美しき町』。記憶の中にしかないかつての渋谷百軒店もユートピアもすべて「幻の美しい町」に過ぎないけど、人にはそうした美しい幻や記憶が実は何よりも大切なんじゃないだろうか。ちなみに、私の記憶の中の百軒店を音楽にたとえれば、リー・モーガンの『キャンディ』。19歳で、毎日が春のように軽薄で、そしてとても自由だった・・・

美というのは、記憶のどこかに必ず埋もれているものなのだと私は信じている。


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