はるかなる呼び声 №7 [核無き世界をめざして]
はるかなる呼び声⑦ 関千枝子から中山士朗さま
エッセイスト 関 千枝子
本来、今回は、中山さんからの発信なのですが、昨日電話がかかって来て体調が悪い、ということで、関が慌てて書いています。中山さんのお体の具合心配なのですが、日常のことは何とかできるからといわれますので、天候も変だし、とにかく「お大事に」と言って電話を切りました。
さて、私のですが、元気に「できること」をやっていますが、悲しいニュースもあります。中山さんも私も、ともに会員であります「鯉城同窓会」(広島県立国泰寺高校の同窓会)のニュースが届いたのですが、それに号外がついていて、児玉光雄さんの訃報が伝えられていました。児玉さんは、被爆時広島一中の一年生、広島原爆のとき、疎開地作業中でしたが、半数ずつ、交代で働いていて児玉さんらは校舎内で待機していた。屋外で作業していたものは全部死亡、倒壊した校舎からはい出し、助かったもの18人。この人々も、みな亡くなっていますが、児玉さんは最後の生き残りとして証言活動に奮闘、「壮絶」としか言いようがなかったと言います。10月28日、腎臓がんで亡くなったそうですが、ニュース「校了」後伝えられた訃報に号外を作られた同窓会編集委員会に敬意を表します。
被爆世代が急激に減って行く事も感じます。鯉城同窓会ニュースで会長の交代が報じられていましたが、新会長は私たちの子どもの世代です。これを書いている時、NHKの番組「朝イチ」に室井滋さんが出ていました。中山さんはご存知かしら、仏文で私の一年下にいた室井君のこと。米川良夫君(米川正夫先生の息子)と仲が良くて、私はよく覚えているのですが。室井滋さんの活躍、説明もいらないことで、私はつくづく、我らの世代は隠居(終焉が近い)と思うのですが、それだけに、最後まで叫ぶぞ(書くぞ)とも思うのです。
前の便で報告した女子学院中学ですが、コロナで三年生にだけ話し、一年.二年生にはオンラインだったのです。その後三年生から感想が届き、とてもいい感想でうれしくなったのですが、その後下の学年からも素晴らしい感想が届き、私の方が目が潤んでしまうような感想がありました。この人たちきっと成人した後でも原爆の残酷さ、平和の大切さを覚えておいていただけるだろうと信じます。この生徒さんたち、祖父や祖母も戦争を知らない世代です。帰宅してから、おばあさんに話を伝え、話しながら泣いてしまったという感想もありました。
はるかなる呼び声の④で紹介したNHKの栄久庵耕児さん、今度は、私の第二県女二年西軍を中心に書いてくださいました。彼は、生き残った者が、単純に幸運と思えず、『済まない』という言葉でその心情を表現するのにとても関心を持たれ、しつこいくらい熱心に取材されました。NHKのWEBニュースなど言われても、私など全くぴんと来ないのですが、よく見られるらしく、栄久庵さんのお話では今回は12万ヒットで、大変評判よかったとのことですぅ。そんなニュースをみ見るのは若い人かしらと思います。若い人に原爆の話が.伝わるのはうれしいことです。伯母さんの被爆死から、原爆への関心を強めてくださる栄久庵さんに感謝です。
さて、今私が必死になっているのが⑥でも書きました、日本政府に「核兵器禁止条約の署名批准を求める署名」の署名運動です。前回書きましたように、外へ出ることも控えているような昔の友中心に手紙を出したのですが、出した人々からまた広がり、手紙を出したのは40通くらいですが、10倍以上に広がり、私もびっくりしています。とにかく核兵器禁止条約こそ、わたくしたち被爆者の望みに望んだ条約、つまり核兵器というものは無くしてしまわなければならないものだからです。これに背を向け、条約を決める会議にも出ず、核兵器を山のように持つ強大な同盟国の「核抑止力」の壁に頼り、口だけは「核を持つ国と持たない国の橋渡しをする」など言っている日本政府が許せないからです。しかし多くの方が判ってくださり署名手紙作戦に賛同していただけたこと、本当にうれしく思います。この作戦の詳しい報告は多分次の次の号位だと思います。
被爆世代が急激に減って行く事も感じます。鯉城同窓会ニュースで会長の交代が報じられていましたが、新会長は私たちの子どもの世代です。これを書いている時、NHKの番組「朝イチ」に室井滋さんが出ていました。中山さんはご存知かしら、仏文で私の一年下にいた室井君のこと。米川良夫君(米川正夫先生の息子)と仲が良くて、私はよく覚えているのですが。室井滋さんの活躍、説明もいらないことで、私はつくづく、我らの世代は隠居(終焉が近い)と思うのですが、それだけに、最後まで叫ぶぞ(書くぞ)とも思うのです。
前の便で報告した女子学院中学ですが、コロナで三年生にだけ話し、一年.二年生にはオンラインだったのです。その後三年生から感想が届き、とてもいい感想でうれしくなったのですが、その後下の学年からも素晴らしい感想が届き、私の方が目が潤んでしまうような感想がありました。この人たちきっと成人した後でも原爆の残酷さ、平和の大切さを覚えておいていただけるだろうと信じます。この生徒さんたち、祖父や祖母も戦争を知らない世代です。帰宅してから、おばあさんに話を伝え、話しながら泣いてしまったという感想もありました。
はるかなる呼び声の④で紹介したNHKの栄久庵耕児さん、今度は、私の第二県女二年西軍を中心に書いてくださいました。彼は、生き残った者が、単純に幸運と思えず、『済まない』という言葉でその心情を表現するのにとても関心を持たれ、しつこいくらい熱心に取材されました。NHKのWEBニュースなど言われても、私など全くぴんと来ないのですが、よく見られるらしく、栄久庵さんのお話では今回は12万ヒットで、大変評判よかったとのことですぅ。そんなニュースをみ見るのは若い人かしらと思います。若い人に原爆の話が.伝わるのはうれしいことです。伯母さんの被爆死から、原爆への関心を強めてくださる栄久庵さんに感謝です。
さて、今私が必死になっているのが⑥でも書きました、日本政府に「核兵器禁止条約の署名批准を求める署名」の署名運動です。前回書きましたように、外へ出ることも控えているような昔の友中心に手紙を出したのですが、出した人々からまた広がり、手紙を出したのは40通くらいですが、10倍以上に広がり、私もびっくりしています。とにかく核兵器禁止条約こそ、わたくしたち被爆者の望みに望んだ条約、つまり核兵器というものは無くしてしまわなければならないものだからです。これに背を向け、条約を決める会議にも出ず、核兵器を山のように持つ強大な同盟国の「核抑止力」の壁に頼り、口だけは「核を持つ国と持たない国の橋渡しをする」など言っている日本政府が許せないからです。しかし多くの方が判ってくださり署名手紙作戦に賛同していただけたこと、本当にうれしく思います。この作戦の詳しい報告は多分次の次の号位だと思います。
2020-12-12 11:56
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