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日本の原風景を読む №15 [文化としての「環境日本学」]

潜伏キリシタンの「あまりにも碧い海」 -平戸 1

  早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

雨よ陣れ夜よ暗かれ

 入り江に面したうしわきの暗い森の中に、自然石を積み上げた信徒たちの墓地が連なる。一隅に辛うじて判読できる慰霊の碑が。

  山翠りに砂白き里根獅子の浜よ
    海青く波静かなり
  渚に浮かぶ 昇天石は
    いく度か殉教の血でもて洗はれ
  七十余柱のみ霊は
    万斛の恨みを抱いて
  此處に眠る うしわしきの森よ
    雨よ降れ夜よ暗かれ
             昭和五十七年 晩秋
             平戸市長山鹿光世

 石文に記された「青い海」は、海そのものが処刑された潜伏キリシタンたちを慰霊する神でもあるかのように、訪れる人々の魂に訴え、なぐさめる。根獅子の浜は潜伏キリシタンたちの生国、精神形成の場所・原風景であった。
 沈黙するキリスト。語らずとも心をなぐさめる永遠の海。「あまりに碧い海」に神を視ることができたであろう先人たちの、それはかけがえのない原風景ではなかっただろうか。
 ―人間がこんなに哀しいのに主よ海があまりに碧いのです
 根獅子の集落は、海沿いの狭い路をはさみ、ひしゃげたように軒を連ねる。「天国」に憧れざるを得なかったのであろう、かっての人々の暮らしの厳しさを今に伝えている。

「海の青さ!」

 貝殻が波に洗われて砂粒になったのが根獅子の砂浜である。弓なりの浜の砂の白さはひときわ目に染みる。首まで海水につかり目をやる足指の間に、舞い上る砂粒がキラキラ輝く。夏、釣り糸を垂れていた筆者の傍らで、独り海を眺めていた幼い女の子が突然叫んだ。「海の青さ!」。それは愛らしい長崎弁で、「海が青いよ!」と訴える感動の表現である。
 入り江の奥に教会がつつましく連なるこの島で、筆者は祈る。少女の感動を他の人々にも架け継ぎたいと。

かくれキリシタンの原風景「沈黙」

 厳しい弾圧下で、生死を賭して信仰を守り通した人々は「潜伏キリシタン」と呼ばれる。」一八六五年、開国後の潜伏キリシタンたちは、再渡来していた宣教師と長崎の大浦天主堂で歴史的な会見を遂げ信仰を表明する。キリスト教史に残る「信徒発見」の大きな出来事だった。
 勢いづいた信徒の動きを恐れ、弾圧と摘発が再発する。しかしヨーロッパ諸国が強く抗議し、一八七三年、明治政府は禁教の高札を除き、キリスト教は解禁された。
 それを契機に長崎の潜伏キリシタンは二つの異なる道をたどった。カトリックに復帰し、教会を建造し、神に祈りを捧げる信者(多数派)と、カトリックへ復帰せず、禁教時代の信仰形式を守る「かくれキリシタン」(少数派)である。

 いま世界文化遺産「潜伏キリシタン関連遺産」をたどるとき、小説『沈黙』に登場するフェレイラ教父の問いが蘇ってくる。
 「日本人がその時信仰したものは、基督教の教える神ではなかったとすれば…‥・」。

かって存在していた痕跡を、今では辛うじてとどめるに等しい「かくれキリシタン」に、フェレィラ教父の問いは向けられているように思える。「かくれキリシタンとは、信仰が自由な時代である現代社会に、なお弾圧下の形態を守っていこうとして、カトリックとは異質の宗教形態を作りだしている存在である」 と定義されている(平戸市切支丹資料館)。したがって長崎県がユネスコ世界遺産委員会に提示した世界遺産登録リストに、かくれキリシタンの遺跡が登録されることはなかった。
 カトリックに復帰せず、しかし禁教時代の信仰スタイルを継続したのはなぜか。
 近代日本の宗教の一形態を示しているこの原風景の一端は、「日本独自の信仰のかたち」と表現する他はない。
 背を没するだんじゅくの繁みの暗闇の底で、かくれキリシタンの末裔たちは「沈黙」を守って消え去ろうとしている。
 教典である「聖書」の記述に照らしてみても、その「沈黙」の根拠を見出すことが困難な「日本独自の信仰のかたち」である。


『にほんの「原風景」を読む~危機の時代に』 藤原書店




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