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検証 公団居住60年 №67 [雑木林の四季]

第三章 中曽根民活
 Ⅶ 住宅政策大転換のはじまり一都市基盤整備公団へ再編

     国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

2.ただちに動き出した住宅政策の「新しい方向」-公営住宅法の改憲

 住宅審答申がうちだした住宅政策の「新しい方向」は、1995年1月17日におこった阪神淡路大震災による被災者の住宅困窮にたいする対応、6月の「住専」(住宅金融専門会社)破たんの政治問題化、96年2月の公営住宅法一部改正案の閣議決定に端的にあらわれた。
 大震災で住宅をうしない生活再建の困難な人たちに国は「住宅取得は自助努力で」「個人資産への補償は憲法違反」の原則をかかげ、公営住宅の建設は進まなかった。長年にわたる住宅政策の貧困、無策が被害を大きくし、、多くの人命を失わせ、犠牲はとくに高齢者、低所得者にふりかかった。この実情と反省に照らしても、公共の責任による住宅供給は促進されるべきであった。
「住専」論議をつうじて、土地・住宅価格をつり上げ、街並みをこわし、国土を荒らした正体とその張本人、「民間活力」政治の結末、都市住民の住宅困窮の原因が明らかとなった。地価バブルをあおり巨利を得た大銀行などの不始末を、税金をつかって処理し、さらに低金利政策をとってかつてない利益を上げさせても追加負担をさせず、三重にもツケを国民にまわす政治が、住宅政策の「新しい方向」と重なる。
 公営住宅法の改悪は、わが国の公共住宅制度を根底からほりくずす新しい方向への第一歩であった。
 入居要件の所得上限を所得分位33%から25%に切り下げて門戸を狭め、入居希望者を締め出すことで「応募倍率を下げ」、「供給の的確性」をはかる。家賃設定は基準を建設原価から市場家賃にかえ、応能に「応益」をくわえた方式で算定する。家賃値上げをして民間借家入居者との「公平性」を保つというのである。
 そのうえ、公営住宅にたいする国庫補助率を引き下げて地方の負担を増大させ、民間住宅の買い取り・借り上げ方式をとりいれて直接供給を抑える。公営住宅の供給がますます進まなくなることは目に見えている。こうした法「改正」が96年4月衆院で、5月参院で委員会審議もほとんどされず賛成多数であっけなく可決成立した。公営住宅法は公共住宅制度の根幹であり、攻撃は公団住宅にも広がるとして、全国自治協は反対署名、地方議会請願、国会要請、国会傍聴などの活動を展開した。

3.「公団つぶし」政官財が一体、マスコミも加わって

 公団住宅「民営化」は、これまで政府は表向き主導せず、行革審や住宅審の答申などをつうじ地ならしにつとめ、筋書きをつくってきた。建設省・公団は一定の抵抗をみせながらもその方向にそって「改革」を進めてきたといえる。住都公団廃止にむけて政府が具体的に動き出したのは、村山内閣にかわり1996年1月に橋本龍太郎内閣が発足してからである。
 発足するとすぐ、2月に住専処理に6,850億円の税金を投入する法案をだし、6月に消費税率3%を5%への引き上げを決定、これとセットで「橋本行革ビジョン」を発表し、特殊法人の早期民営化・廃止を打ちだした。10月20日の総選挙では多くの政党が「住都公団民営・廃止」の公約をかかげ、マスコミもこれに合わせ、高家賃団地の大量空き家、分譲売れ残り問題を大きくとりあげて、いっせいに住都公団たたき、「公団なくせ」の大キヤンぺ-ンをはった。
 そのさなか10月15日に財界団体の社会経済生産性本部(亀井正夫会長、加藤寛委員長)は「特殊法人を2000年までに株式会社に転換、2010年までに国が株式放出、つまり完全民営化」を提唱した。加藤グループは、郵政3事業と9特殊法人を民営化すれば23・7兆円の株式売却収入が得られ、住都公団からは約4兆円の収入を見込めると試算を発表して民営化をあおった。建設省も住都公団の資産と負債を時価におきかえた評価益は4兆30億円との内部資料を流した。
 そのころ国民の関心は、厚生省スキャンダル、税金むだ遣いと政治腐敗温床の公共事業、大蔵官僚の腐敗と証券不正、大和銀行事件、住専処理などにみる大蔵官僚の無責任行政、等々に集中していた。ところが「公団たたき」キャンペーンがはじまると橋本行革の矛先は一転、問答無用のうちに住都公団にむけられた。
 特殊法人改革といえば目玉は公団住宅。橋本行革には、国民の多くが反対する翌年4月からの消費税5%引き上げの前に「身を切る」証しが必要だった。公団住宅はその生け贄にうってつけ。公団住宅を売却して財政赤字の穴埋めに、と政府・与党内で公然と語られていた。
 住都公団の民営化をあおる動きは、過去十数年にわたりくりかえし浮上していた。しかし国会の場で政府が公団業務「改革」にむけての方針を言明したのは、97年1月22日がはじめてである。亀井静香建設大臣は衆院本会議で「分譲住宅からは完全に、賃貸住宅のごく一部を残して撤退し、今後は都市再開発に重点をおく」と表明した。その直前に牧野徹公団総裁は改革案検討の中間報告を大臣にしていたし、96年9月に結党したばかりの民主党菅直人代表が急きょ住都公団への補給金削減と賃貸住宅建設からの撤退などをもとめて質問をした、その質問に答えるかたちで大臣発言となった。つづいて2月7日には自民党も特殊法人改革の第1弾として住都公団廃止案をうちあげた。同日の読売夕刊は「消費税の引き上げと特殊法人の整理合理化は交換条件」と報じた。

『検証 公団居住60年』 東信堂


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