SSブログ

日本の原風景を読む №11 [文化としての「環境日本学」]

海 2

  早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

六角堂とアジアの伝統思想

 日露戦争さなかの明治三十八(一九〇五)年、天心はなぜ自ら設計して六角堂(国登録有形文化財)を作ったのだろうか。
 欧米社会をモデルにした明治日本の近代化期を生きた天心は、日本文化の、とりわけ日本画の伝統に思いを寄せる。中国・インド・日本文化圏を構想、米国のボストン美術館の「中国・日本美術部長」を務める傍ら、英文の『東洋の理想』『日本の覚醒』『茶の本』をロンドン、ニューヨークであいつぎ出版した。
 六角堂の再建に携わった小泉晋弥茨城大教授は、六角堂のナゾを明かす。
 「朱塗りの外壁と屋根の上の如意宝珠は仏堂の装いです。天心はアジア文化圏の主張を、六角堂によって形にして発信しようとしたのだと思います。ポイントは、地先の岩礁ですね。孔の多い硬い特殊な岩で、中国の文人庭園のかなめ、太湖石を池に配して鑑賞するの景です。六角形は杜甫の草堂である六角亭子の構造、中国のあずまやの基本形です。部屋の中央に炉を設け、床の間を配したのは日本の茶室のしつらえです」。
 日本、中国、インドのアジアの伝統思想をひとつの建物、六角堂によって天心は表現しようとした。
 六角堂の海際の石垣は、ノーベル賞詩人タゴールと行き来し、インドで沐浴していた天心の沐浴の場では、と注目されている。「六角堂は近代化のさなかに、西洋思想による近代化を東洋の価値観で乗り越えようとした天心一流のパフォーマンスの場ではないでしょうか」(小泉教授)。
 アジアの伝統思想とは何か、天心は著書『東洋の理想』(一九〇三年/明治三十六年、ロンドンで刊行)の冒頭「理想の範囲」に記している。
 
 アジアは一つである。ヒマラヤ山脈は、二つの強大な文明、すなわち、孔子の共同社会主義をもつ中国文明と、ヴェーダの個人主義をもつインド文明とを、ただ強調するためにのみ分っている。しかし、この雪をいただく障壁さえも、究極普遍的なるものを求める愛の広いひろがりを、一瞬たりとも断ち切ることはできないのである。そして、この愛こそは、すべてのアジア民族に共通の思想的遺伝であり、かれらをして世界のすべての大宗教を生み出すことを得させ、また、特殊に留意し、人生の目的ではなくして手段をさがし出すことを好む地中海やバルト海沿岸の諸民族からかれらを区別するところのものである。(岡倉天心『東洋の理想n

 明治三十八年、日露戦争のさ中、六角堂にこもった天心は、執筆中の『茶の本』に記した。「人類はいま、富と権力を求める巨大な闘争に粉砕され、大荒廃を繕う存在の出現を待っている」と
 ―その間に、一服のお茶をすすろうではないか。午後の陽光は竹林を照らし、泉はよろ
こびに泡立ち、松籟はわが茶釜にきこえる。はかないことを夢み、美しくおろかしいことへ思いに耽(ふけ)ろうではないか。                    

大観、波を拙く

 西洋美術主流に転じた東京美術学校(現・東京芸術大学)の校長職を解かれ、明治三十一(一八九八)年、天心は在野の「日本美術院」を結成した。門下生の横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山らが院の拠点五浦に移り住み、日本美の表現、創作活動を展開する。椿の浦に陣取った大観は、躍動する眼下の海景の描写を試みる。「海に因む十題 波騒ぐ」は、黒松が枝を張る岩礁を波涛が噛む瞬間が力強く描かれていた。「五浦海岸の波音」は、日本美術の拠点になった歴史的な景勝地上して「日本の音風景百選」に選ばれている。
 天心美術館の遺跡に隣接する茨城県天心記念五浦美術館は、窓外に海が光る素晴らしい環境にある。「受け継がれる日本のこころ」をテーマに大観らの業績の紹介、近代日本画の名作展が常時閻催されている。

『日本の「原風景」を読む~危機の時代に』 藤原書店


nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。