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検証 公団居住60年 №63 [雑木林の四季]

第三章 中曽根民活
Ⅺ 転換きざす住宅政策と公団の変質―90年代の居住者実態

       国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

3.住都公団「民営化」への先導

 1990年8月には、政府所管の総合研究開発機構(NIRA)が『公社・公団等の民営化の研究』を刊行している。NIRAは国民経済研究協会に委託し、郵便貯金、住都公団、道路公団、国立病院・診療所の民営化にむけて85年一月に研究をスタートさせていた。NIRA報告書が公団賃貸住宅にかんして提起した3つの論点だけ紹介しておく。
・まず、公団の「歴史的役割は終わった」という。その背景として住宅産業の発展をあげる。1968年は「住宅産業元年」、住宅ストック総数は総世帯数を上回り、1世帯あたり1.01戸と量の充足は達成され、同時に年間の新設住宅着工戸数が100万戸の大台をこえ、民間の供給力は強まった。曲がりなりにも大きな住宅市場が成立し、住宅需要も急速に高まり、いまや住宅産業は自動車や家電製品、宇宙機器などにつづく経済成長の新しい主役、内需
に導型経済発展の主要な担い手となりつつある。公団が存在し幅を利かせつづけると民間活力を損なうおそれがあると、公団たたきをはじめる。
 公団改革の第1の方向に、住宅リース業としての確立、既存の賃貸住宅のリニューアル、建て替えをあげる。第2は、蓄積されたノウハウを生かして高レベルの賃貸住宅の新たな供給、第3は、大都市の最優良地にある団地の上地をオフィス・ビルに転用する方向を示唆する。
 民営化は、公的主体による直接供給がもたらす「問題」を解消するめにも必要だという。第1に入居できた者とそうでない者との大きな不平等、第2にに入居者の既得権化、第3に原価家賃主義による入居者間の不平等、第4に直接供給による立地条件の悪化、第5に変化するニーズとのミスマッチ等々をならべる。
 財界団体が主導して公団住宅民営化・廃止への論点と工程づくりは、90年代早々には出揃っていた。

4.地価バブル便乗をつづける第4次家賃値上げ

 以上のべた住宅政策の変質をまえにして、全国自治協は1990年6月の第17回定期総会で「90年代にむけての活動目標」をさだめ、活動課題として①家賃くりかえし値上げ反対、②建て替え事業の抜本的見直し要求、③借地・借家法改悪反対、④消費税の家賃非課税実施、⑤修繕促進、住環境改善、団地管理向上等をかかげた。
 1991年は、全国で固定資産税評価額の評価替えがおこなわれる年、3年ごとの家賃値上げの年にあたり、家賃の大幅値上げが予想された。全国自治協は90年11月、公団総裁にたいし「家賃改定ルールの再検討を求める要望書」を提出し、地価高騰を家賃に反映させない制度改善、年金生活者等への実効ある家賃減額措置等の緊急提言をおこなった。具体的には、建設用地の国庫による取得、新規家賃の構成費目からの地代相当額の削除、家賃改定の際の地代相当顔削除または凍結、空き家割増し家賃の廃止を求めた。異常な地価高騰を反映させ供給サイドの市場原理にもとづく家賃設定は、この時期もはや成り立たず、まして「公共住宅」において破綻は明らかであった。居住者は需要サイドの論理を組み入れての家賃ルールの再検討を公団に要求した。
 これにたいし公団は「1991年度の家賃改定について」回答してきた。

1・家賃改定ルールは見直さない。近年地価および建設費の高騰がみられるが、現行ルール自体を見直さなければならないような特段の社会経済事情の変化はないと考える。
2・現行ルールにもとづいて1991年度の値上げをする。継続家賃の値上げ(第4次)期日は10月1日、約36万戸を対象とする。引き上げ限度執ま、3居住室以上10,800円、2居住室9,800円、1居住室8,800円。敷金は値上げ後家質の3カ月相当額に変更して差額徴収する。
3.空き家家賃の第6次値上げを実施する。

 自治協が公団のこの値上げ案、やり方に反対し、運動を展開したことはいうまでもない0運動のもりあがりを背景に、公団に一定の後退をよぎなくさせ、引き上げ限度額を各1,800円下げさせた。公団が91年3月、建設大臣に値上げ承認申請を提出するや、自治協は国会にたいし衆参両院建設委員会での集中審議を要請、4月25、26両日に実現した。自治協代表は両委員会で参考人発言の機会を得た。国会審議をもとめ1カ月足らずのあいだに231団地自治会、50万人近い緊急署名をあっめたのは、自治協の運動史上でも画期的な成果であった。
 審議をつうじ91年10月1日実施の家賃値上げは、①上限額のさらに各500円の引き下げ、②特別措置対象に父子世帯追加、③敷金追徴の中止が決まった。
 1988年をピークに東京圏では地価が異常高騰し、全国に波及して大都市の住宅事情はますます深刻になっていた。地方自治体では「住宅条例」づくりが進められ、市民の居住保障のため独自の緊急措置をとる動きがみられた。この状況のなかで公団は、家賃改定ルールは「安定的な手法」と強弁し、88年、91年、94年と連続して上限1万円をこえる値上げ案を提示した。このころ公団は、東京や横浜に20万円台、30万円以上の高家賃住宅を建て、大阪では1億円マンションを売り出していた。公団住宅の公共性など眼中になく、
1万円ものくりかえし家賃値上げを異常とも思わない体質になっていた。


『検証 公団居住60年』東信堂


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