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祖道傳東Ⅱ №25 [文芸美術の森]

第二十五図 「百川匯海」

      
画  傅 益瑤・文  曹洞宗大本山永平寺

25.jpg
《紙本塁画》 九〇×一二五 軸装

 道元禅師は本格的な修行道場の「観音導利院」を深草に建てて、安養院から移りました。
これが、深草の興聖寺です。
 本格的な僧堂の建立計画が進められてから三年の歳月が流れ、ようやく嘉禎二年(1236)の秋に完成します。寺名は観音導利興聖宝林寺です。その年の暮れ、道元禅師の片腕となる懐奘(えしょう)がこの興聖寺を訪れて、道元禅師の弟子となります。
 ちょうど怠惰な世の中にあって、社会全体が改革への強力なリーダーの登場を願っていた時代でもありました。
 多くの人たちがこの新しい道場、興聖寺の完成を待ち望んで、文字通り山海に暮らす人々が全国から道元禅師のもとに集まって来ました。道元禅師の唱える新しい 「修証一如(しゅうしょういちにょ)」に、人々は大きな期待を膨らませたのであります。そうした中で、日本達磨宗徒であった義介、義演、義軍らの僧侶も参学し、道元禅師の教えを弘めて行く組織がこのときに結成されています。

『祖津傳東』大本山永平寺


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