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バルタンの呟き №80 [雑木林の四季]

「コロナ世代」

               映画監督  飯島敏弘

 新型コロナウイルスcovid-19の今なお続く感染拡長に伴って、全国の児童、学生が、一貫性を欠いて、展望の利かない文部科学省の通達、各地方自治体の施策に振り回され、きりきり舞いしていますが、この一年に及ぶ学業の混乱が、かれらの将来に及ぼす影響は計り知れないほどに重大なハンディキャップを負わせるのではないかと危惧されます。
この春、突然香港からの巨大クルーズ船で持ち込まれ、水際で抑えきることに失敗した上に、中国の春節休暇で押し寄せた感染者からの感染も、さらに海外汚染地域からの帰国者からも、と、第一波第二波とエスカレートして、パンデミックを生じ、漸く発令した緊急事態宣言も、停滞する経済対策の圧力に押されて早々に解除、政府が打ち出した振興策が感染制圧と逆行する現象を生むなどで、今年度の学校教育の混乱にいまだに終息の兆しが見えないのは、ご承知の通りです。
暦の上では、もうすでに秋だといっても、観測史上はじめての高温も、マスクも、三蜜もそのままに、我が街の子供たち(小中高生)が、いつ学校に行っているのか、いつ夏休みだったのか、さっぱりわからない状況が続いています。

身近なところでは、この春めでたく大学に合格した孫にしても、この春、入学祝に贈ったパソコンとばかり向き合わされて、未だに、入学式はおろか、憧れのキャンパスに足を踏み入れることも叶わず、従って、教えを乞う教授とも、いまだに画面の中でしかやり取りもなく、まして、楽しみにしていたクラブ活動や新しい学友とは、全く出会うことなく、前期はすでに終了。なんと、やがて迎える後期もリモートという通達で、成績の評価はともかく、入学式も行われずに、大学(キャンパス)大学に行く機会も、教授との接触にも恵まれないまま、新入一年期は終了と決まったようです。
「大学生になった気がするのは、大っぴらにアルバイトしていいということだけだ」
と笑っていられる孫の場合はまだしも、地方から上京して下宿生活する学生が、春以来、キャンパスにも行けずに迎えてしまったこの夏休みも、故郷の家に帰ることも叶わず、アルバイトにもつけず、入学この方、空しく過ごした上に、一年期がすべてリモートというのでは、何のために上京して、家賃のかかるアパート住まいを続けているのかわかりません。
「今年度の授業料を返してほしい」
と、大学にねじ込んだ人がいるという噂も聞こえて来ます。
あまりにも気の毒なケースは、経済的破綻に陥って、遂に学業を諦めて、故郷に、歓迎されざる存在として帰るケースなども報じられています。

我が街の早朝ラジオ体操仲間にも、三世代同居のお孫さんが、ほぼ希望に近い大学に合格しながら、さらに志高く、祖父母両親と兄弟たちの了解も得て、再度の挑戦を賭けて浪人したものの、今年度までとは一変すると言われている来年度の入学試験の方針がいまだに流動的だとかで、受験予備校の授業方針も及び腰で、本人も勉強に身が入らずに、疑心暗鬼の日々だけが過ぎてゆくと嘆くご老人もいます。
「それよりもですよ」
と、毎朝、一番早く公園に姿を見せて、政治評論を試みる輩(やから)が、言いました。
「もっと切実な問題は、コロナ世代が出来てしまう事です」
「コロナ世代?」
数人が聞きとがめます。僕もその一人でした。
もっとも、この方は、
「いいですか、今、ニッポンが一番困っているのが、獣医の不足! 酪農や、牛肉が、どうにもならんのですよ。その原因はですよ。わかります? 野党の連中が、いつまでも森友学園問題をつつき回しているからなんです!」
という方なので、まあなんとなく皆さん、体操に先立ってのストレッチに励みながらのお付き合いなのですが、今朝の彼の一言は聞き逃せませんでした。
「このまんま、文部科学省が、○○(禁止用語)な知事や専門家のいう事に左右されて確とした教育指導要領を示さずにズルズルいくと、あの日教組(これも間違い!旧文部省)がやったゆとり教育の犠牲になった「ゆとり世代」の悲劇が繰り返されることになるんです。せっかくアベさんが、戦後レジウムを一掃して(以下は毎度お決まりなのでカット)」
ゆとり世代の差別、つまりゆとり教育を受けた世代が、引き続いた高度成長と少子高齢化の恩恵で、売り手相場で企業や学界に採用されたものの、基礎教育の不足で、被差別的な立場に立たされている(彼の主張です)のと同様に、現在のコロナ対策教育世代は、将来、基礎教育のエアポケットが仇となって、「コロナ世代」として、同様な差別を受けなければならないだろう、というのです。
ある朝、彼がお決まりの、
「アベさんが・・・」
を始めた時に、居合わせた僕が、
「母さん、僕のあの3本の矢(帽子)は、どこに飛んでいったのでしょう?」
と、皆さんが忘れてしまっただろう古臭いジョークを飛ばして以来、
「カントクは、隠れ左翼だから・・・」
と、ある種の喧嘩友達みたいな関係になっているのですが、これは、珍しく、聞き耳立てて聞いてみる気になりましたが、いいところで、ラジオ体操が始まってしまいました。

 さて、コロナ禍が、間もなく収まるのかそれとも第三波が来るのか、全くわかりませんが、彼が主張した通り、いま、この混乱した状態で勉強している諸君が、彼が言おうとしたように、「コロナ世代」と差別されるエアポケット世代になってしまうかどうかは、あの、数年前にリバイバルして漫画版も出され、各学校で副読本、課題図書、或いは、推奨図書に採用される大ヒット作となった吉野源三郎「君たちは、どう生きるのか?」が初掲載された、戦前の少国民文庫を引き合いに、進言してみたいと思うのです。
初版された当時の日本は、教育の機会均等などを顧みる余裕もなく、貧富の差は、そのまま当時の少年たちの教育に及んでいたのです。山本有三、吉野源三郎などが、少国民文庫を刊行して、古典や海外文学をわかり易く紹介して、少年少女の教養を高める理想でした。その中でも、もっとも世間に浸透したのが、沈みゆく客船から海に投げ出された少女が、絶望の淵に立っても、希望を失うことなく歌い続けて、遂にその合唱が救助の船を呼び寄せた逸話、
「心に太陽をもて、唇には歌を」
どんな逆境に陥っても進むべき道に迷っても、敬虔な心を持ち、希望を失わずに歩み続ければ、必ず目的は達せられる、というという理想を掲げた少国民(本来の意味での理想の子供)を、日本社会が、物質的にも文化的にも貧困だった時代に呼びかけた文庫に収められた一遍の示す通りなのです。
その少国民教育が、戦時色で歪められて、国が(時の軍国主義政府)が決めた方針のまま、「この道しかない」と、たった一つ、戦争への道を歩かせられたのが、僕たち、「少国民世代」なのです。
75年前の8月15日に、漸く終わりを告げた戦争で、戦火に追われ、敗戦後の飢餓、貧困に禍されて、勉学の時間を奪われた世代の一人として、やがて、彼が予言する通り、「コロナ世代」の試練をうけるに違いない諸君に、激励の言葉として、
「心に太陽を、唇には歌を」
を贈り、この先、コロナ世代としてどんな逆境に置かれても、希望と努力(歌)を重ねて、決して、これしかないと決められた一つの道ではなく、君たちそれぞれの望む道をまっすぐに歩いてゆくことを・・・
 明日の朝、彼にはこう言ってやるつもりです。
「ゆとり世代には、詰め込み世代にはない、ゆとり育ちの力があるんだよ」
「・・・・」

 30年ほど前の事です。阪急京都駅のホームで、特急電車を待っている時でした。僕より少し年上と思しき方から話しかけられ年齢を問われたときに、
「昭和7年です」
「ああ、疎開で、一番勉強してない年回りだ」
「・・・」
悪意のなさそうな、もしかすると教師だった風の紳士でした。

 僕が、少国民を書こうという気になる、モチベーションとなった出来事でした。




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