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医史跡を巡る旅 №72 [雑木林の四季]

「医史跡を巡る旅」番外編 シンコロナ~ニッポン対コロナ

            保健衛生監視員  小川 優

新型コロナウイルスに新たに感染する人の数が、高止まりの状態が続いています。一方、政府から今後の取組が公表されました。その筆頭は「感染症法における入院勧告等の権限の運用の見直し」。感染者の増加が想定を上回りつつあることへの対処療法的政策であり、根本的な拡大防止策ではないことは明らかです。5月には「日本モデル」によって「わずか一か月半でほぼ収束」させたと豪語し、その後は新たな感染拡大防止策を示さず、結局増加が抑えきれなくなった挙句の果てが、特に目新しい内容のない今回の「今後の取組」です。「日本モデル」とは、「状況分析の上に構築する現実的な戦略を定めず、場当たり的な対応策に終始すること」だったのかと、思わず悪魔の辞典の一項目に書き込みたくもなります。

「茅の輪朱印」

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「茅の輪朱印」 ~八坂神社 京都市東山区祇園町

祇園祭の終盤、夏越祭の間に八坂神社で授与される朱印です。蘇民将来の文字と、茅の輪が描かれています。

7月中旬までの新型コロナウイルスの遺伝子学的状況を、国立感染症研究所病原体ゲノム解析研究センターが、集団発生したウイルス株の特徴から分析しています。
ウイルスは増殖を繰り返すうちに遺伝子変異を起こします。遺伝子を設計図に例えると、「塩基」は設計図に書き込まれる記号や数値に例えることができます。新型コロナウイルスの遺伝子が変異する速度は、年にほぼ塩基で24カ所と推定され、つまり1か月に塩基2カ所が変わっていく計算です。この変異は一度に大きく変わるわけではなく、徐々に変わっていくので、変化の経過をたどることで由来や、ルーツを知ることができます。
この分析で分かったことは、まず1月に武漢発祥のウイルス株が国内に侵入します。続いて3月中旬、来日者や帰国者を初発とする欧州系統が広がり、続いて各地でそれが変異した地域ごとの固有ウイルス株による集団感染が発生します。この頃の感染者は感染経路がある程度終えたため、モグラ叩きのようにして、ある程度は感染の広がりを抑えることができました。
ところが6月以降のウイルス株は、欧州系統をもとにしながら、6塩基異なっていました。集団感染例からは変異途中のウイルス株は見つかっていません。これはクラスター潰しをメインとして進めてきた新型コロナウイルス対策から漏れ、水面下で脈々と、若者を中心とする軽症者や無症状者が感染を繋いでいた株が、経済活動再開や移動の自由化とともに突如拡散して、感染が拡大したのではないかと推定されます。
感染の主流が集団発生ではなく、いわゆる市中流行期になると、クラスターを見つけ出す患者調査では感染経路を追いきれなくなっています。

「大鳥神社」
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「大鳥神社」 ~豊島区雑司が谷

前回ご紹介した太田姫稲荷神社と同じような来歴を持つ。神社由緒によると、正徳2年(1712)に出雲藩主松平出羽守の嫡男が疱瘡に罹ったが、領地の鷺大明神(現・伊奈西波岐神社)に祈願し、幸い治癒した。そこで鬼子母神境内に鷺大明神を勧進し、社を建てた。以来厄病除けの神として尊崇されたが、明治になり政府の神仏分離策により現在地に移転、名も大鳥神社と改められた。

前述の「日本モデル」が、刹那的な「クラスター潰し」だけであったとしたら、もう通用しません。さらに政府の基本の姿勢が「個人の自粛」に期待するだけのものだったとするなら、それは政策ではありません。自粛を助ける環境整備が必須ですし、自粛に応じない人々をいかに納得させ、協力させるかを含めて、初めて対策といえるでしょう。そしてなにより、万が一感染しても治療、あるいはウイルスが体からいなくなるまで、安心して任せられる医療体制が必須となります。医療機関への支援策も国会で補正予算は通ったものの、具体的なお金の使い道はまだ見えてきません。
先の「今後の取組」に中では感染症法上の取扱いとして、新型コロナウイルス感染症を「指定感染症・二類相当」の枠から外そうとする動きがあります。「現在の取扱いでは、軽症や無症状の人でも隔離しなくてはならず、行政や医療機関を圧迫している」という主張です。指定感染症は、既知の感染症で、一類から三類感染症と同等の措置を講じなければ、国民の生命及び健康に重大な影響を与える恐れがある感染症であり、二類感染症は感染力、罹患した場合の重篤性等に基づく総合的な観点からみた危険性が高い感染症とされます。指定感染症として、ほぼ二類に準ずる扱いから外すとなると、三類のコレラや細菌性赤痢と同じとなり、法に基づく入院勧告・措置は行えないこととなります。感染研の報告にあるとおり、軽症や無症状の感染者が次の感染拡大の温床となる可能性は大きく、隔離が根拠をもって行えなくなると、もはや広がりを抑えることはできなくなります。
従来の指定感染症の枠を外し、五類相当とする考えもあるようですが、新型コロナ前に集団感染がたびたび発生し、マスコミをにぎわせた風疹や麻疹のようになる懸念があります。因みに風疹、麻疹は予防接種があり、きちんと管理さえできれば制御が可能ですが、はっきり言って日本は管理できていません。しばらく前まで日本は世界に冠たる「麻疹輸出国」でした。

「半田稲荷神社」
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「半田稲荷神社」 ~東京都葛飾区東金町

その創建は、和銅年間あるいは永久年間にまでさかのぼるといわれる古社で、江戸中期以降は疱瘡、麻疹、安産祈願の神様として有名になる。

「願人坊主絵馬と麻疹、疱瘡除けのお守り」

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「願人坊主絵馬」 ~半田稲荷神社 東京都葛飾区東金町

明和、安永の頃、半僧半俗の芸人であった願人坊主が「葛西金町半田の稲荷、疱瘡も軽い、麻疹も軽い」と謡い踊って諸国を回り、歌舞伎の演目としても取り上げられた。

「半田稲荷神社神泉遺構」

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「半田稲荷神社神泉遺構」 ~半田稲荷神社 東京都葛飾区東金町

願人坊主はお札を売り歩くほか、神社に直接お参りできない人々に替わって祈願することもありました。その時には水浴びをして、穢れを禊ぎました。神社の境内は、水垢離をした井戸の遺構が残されており、葛飾区の文化財に指定されています。

麻疹が出たところで、医史跡を巡る旅に戻ります。
幕末に人々を苦しめた疫病は、天然痘、麻疹、コレラの三つです。天然痘、麻疹の二つは江戸時代以前に国内に侵入し、たびたび流行を繰り返していました。
天然痘は6世紀半ばに仏教伝来とほぼ時を同じくして、日本に持ち込まれたといわれています。続日本書紀には、「疫瘡」、「豌豆瘡(わんずかさ・えんどうそう)」、「裳瘡(もがさ)」の言葉が見られ、天然痘のことを指していると考えられます。感染すると死亡率が高いのは麻疹と同じですが、皮膚症状のすさまじさ、さらに運よく生き残っても失明や「あばた」を残し、一生その人を苦しめました。人痘を経て牛痘による種痘法が定着するまでは、予防法はなく、人々は神仏や、民間信仰にすがります。赤い色は疫病伸が嫌う色とされ、身に着けるもの、お守り、玩具に良く用いられました。半田稲荷の願人坊主の装束も赤色です。

「赤べこ」
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「赤べこ」 ~会津地方 郷土玩具

風に吹かれると、ゆるゆると首を振るユーモラスな郷土館具ですが、赤い色は疫病除け、白い縁取りの黒い斑点は天然痘の膿疱、結痂を表していると伝えられます。

麻疹(はしか)がいつ国内に入ったかははっきりしません。確実とされる最初の麻疹の流行は、998年、藤原道長の絶頂期に重なります。当時は「赤もがさ」と呼ばれました。「もがさ」は天然痘のことであり、麻疹の特徴の一つである発疹を表す赤が付きました。古くは天然痘と麻疹の区別は厳密にはなされていなかったようです。
江戸時代になると、「麻疹」や「はしか」と呼ばれるようになります。「麻疹」は中国から伝わった言葉ですが、「はしか」は「はしかい」からきています。「はしかい」とは「かゆい」という意味で、麻疹になると喉や皮膚にチクチク、ヒリヒリとした刺激を感じるからといわれます。二十年ほどの間隔で流行を繰り返し、子供の頃に罹らないまま大人になって感染患するため、重篤な症状となりました。

「さるぼぼ」
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「さるぼぼ」 ~飛騨地方 郷土玩具

猿の赤ん坊を模ったものといわれ、安産、子供の無病息災を祈るものですが、赤い色には厄病除けの意味もあります。また、「さる」には疫病、災厄が「去る」との意味も込められているようです。

疫病除けの民間信仰としては、第一に病そのものを神として、鎮撫することによって大人しくしてもらうもの、第二に英雄などの強さにすがることで、病魔から守ってもらおうとするもの、第三に元々医業や薬業の神々を祀るもの、そして第四に由来により病魔退散の実績のあるものに大別されます。「疫神社」や「疱瘡社」といわれるものは疫神が祭神であり、前回ご紹介した源為朝や、素戔嗚尊を祀るものが第二にあたります。また第三にあたるものは道修町の少彦名神社や、各地の神農さん、そして前回の太田姫稲荷神社や今回の大鳥神社は第四のグループに属することとなります。
江戸の疫病の本筋に入る前に、余談が長くなりました。次こそは…。

「鍾馗絵」
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「鍾馗絵」

元々中国の道教の神様ですが、魔除け、特に疱瘡除けに霊験ありとされます。端午の節句に鍾馗像が飾られたり、掛け軸が掛けられたりするのも、子供の無病息災を祈るものとされます。特に赤絵と呼ばれる赤一色で描かれたものは、疱瘡除けとして用いられました。

2016年に公開された「シン・ゴジラ」は、前作までに比べても格段にリアリティがあって話題となりました。今までの常識では制御できない「災厄」に対して、その時講ずることのできるあらゆる手段を用いて立ち向かっていく姿が印象的でした。
構造解析からゴジラの弱点を探るところや、対抗できる薬品の選定にスーパーコンピュータを用いるところなど、新型コロナウイルスの解明やワクチン開発に通ずるところがある一方で、政府としての対応は映画前半の官僚による「省庁間の消極的権限争い」をいつまでも引きずったままで、実力主義でメンバーを集め、優秀なリーダーに権限を委譲し、組織を政府がバックアップする「巨大不明生物特設災害対策本部」のような組織は設置されないままです。「新型コロナウイルス感染症対策本部」は顔が見えずにかつての大本営と化し、「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」は位置付けが不明確なまま一方的に解体、「新型コロナウイルス感染症対策分科会」も提言組織に止まっています。
シン・ゴジラ、使われたキャッチコピーが、「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」。実際の「今」は、「現実(コロナ)対虚構(政治)」のようだというのは、言い過ぎでしょうか。


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