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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №33 [文芸美術の森]

第六章 個展の会場にて 4

         早稲田大学名誉教授   川崎 浹

 ファッション・デザイナーのマダム・マサコと

 次回の高島野十郎の個展は、前年オリンピックの秋を避け、五年ぶりに昭和四十年(一
九六五)の一月に丸善画廊で開かれ、私は毎日かようことになった。前回と四年も間があ
るのは、北青山から喜多見のアパートへの移転、土地探し、増尾のアトリエ建築に時間を
費やしたからである。
 最初の十三日に、野十郎を支援していた医師大橋祐之助の箇所でふれたが、ファッショ
ン・デザイナーのマダム・マサコが白いスーツ姿で訪れてきた。飾り気のないさっぱりし
た「すてきな」ひとで、私もいっしょに階下の喫茶店に入り、高島さんがテーブルの上の
ボトルのことでなにか聞くと、私のフランス語がまだうろ憶えの頃で、一瞬ためらうと、
彼女が手にとりさっと斜めに読み、声にした。「なに? ワインじゃないの」。
 話しぶりでは、高島さんとはうちとけた関係にあるらしかった。こんなさらりとした知
的な女性なら気が合うのだろう。しかしのちに知ったが、西本匡伸氏の話によると、マダ
ム・マサコが大橋医師を介して知った高島さんを佐野繁次郎に紹介したのだそうだ。マサ
コと繁次郎は舟橋聖一の『花の素顔』にモデルとして登場し、作家との間で裁判沙汰にな
った。となるとマダム・マサコと高島さんの距離はどう測ればよかったのだろう。
 個展の会期中に、向かいの高島屋でも尾形光琳派の展覧会があり、江戸後期の画家、酒
井抱一の絵が展示されていた。青銅色の大きな月がすばらしい。私につづいてまもなくマ
ダム・マサコも展示室に入ってきた。これから先のことは日誌に書いてある。
 「彼女は(やっぱり抱一は良いですねえ)と私に言った。その言い方が、野十郎の絵を
見た直後だったので、比較して〈野十郎さんも悪くはないけど敵いませんね)と言ってい
るように聞こえ、自分としては(やっぱり)という言い方になんとなく割り切れない感じ
をうけた」。
 私は翌日も光琳派の絵を見に行った。日誌にはこう記されている。「最初の日(マサコ
氏といっしょに見た日)は高島さんの絵を見たあとだったので、それほど感銘を受けなか
ったが、翌日ふたたび見にゆき、改めてすっかり感心した。宗達の《蔦の細道》もいい」。
本来なら抱一や宗達の絵を見たあとでも、野十都の絵は見るに耐えると書くべきところ
を、私は(やっぱり)相当の野十郎ファンだったらしい。
 そうしたファン心理の修正を試みる同じ時期のコメントもある。「グスタフ・モロー展
にゆき、すっかり感心する。高島野十郎の絵にばかり傾かないように自戒。モローと野十
郎を比較、野十郎には固定した形式を破壊する近代、つまり歴史がない。これは東洋思想
の宿命か?」と生意気な批評をしている。

『過激な隠遁~高島野十郎評伝』 求龍社

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