祖道傳東Ⅱ №23 [文芸美術の森]
第二十三図「普観坐禅」
画 傅 益瑤・文 曹洞宗大本山永平寺
《紙本塁画彩色》 九〇× 一二五 軸装
道元禅師の帰国は、『建撕記(けんぜいき)』に「安貞元年丁亥八月己ニ、帰朝シ給」とあって、道元禅師二十八歳の時でした。博多の津がその帰朝先とされています。
その直後、かねてから深く畏敬の念を持っていた菅原道真を祭る、太宰府天満宮にしばらく滞在し、入宗体験を人々に語りました。
「空手帰還」で帰国した道元禅師は、この太宰府において菅原道真の子孫である菅原為長から中国の文学的伝統思想を学び取って、漢文の駢儷体(べんれいたい)による『普観坐禅儀(ふげんざぜんぎ)』の執筆に取り掛かりました。
この『普観坐禅儀』は、美しい四六駢儷体の文章によって格調高く執筆され、具体的に禅僧の行動規範を説いて、「誰でも坐禅によって、得度することが出来る」という坐禅第一の、道元禅師の新しい仏法の立場が鮮明に宣言されています。
その直後、かねてから深く畏敬の念を持っていた菅原道真を祭る、太宰府天満宮にしばらく滞在し、入宗体験を人々に語りました。
「空手帰還」で帰国した道元禅師は、この太宰府において菅原道真の子孫である菅原為長から中国の文学的伝統思想を学び取って、漢文の駢儷体(べんれいたい)による『普観坐禅儀(ふげんざぜんぎ)』の執筆に取り掛かりました。
この『普観坐禅儀』は、美しい四六駢儷体の文章によって格調高く執筆され、具体的に禅僧の行動規範を説いて、「誰でも坐禅によって、得度することが出来る」という坐禅第一の、道元禅師の新しい仏法の立場が鮮明に宣言されています。
『祖道傳東』大本山永平寺
2020-07-30 12:15
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