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浜田山通信 №270 [雑木林の四季]

「倚りかかりたい」

               ジャーナリスト  野村須美

 詩人茨木のり子の「倚りかからず」という詩は一世を風靡した。「もはやできあいの思想には倚りかかりたくない」から始まって「できあいの宗教」、学問、いかなる権威にも倚りかかりたくない。「ながく生きて 心底学んだのはそれくらい じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて、なに不都合のことやある 倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ」。詩集の発売は1999年筑摩書房刊で、詩集としては珍しく初販5000部がたちまち売り切れになった。担当の中川美智子さんは、私の恩師戸井田道三先生の著書も何点か出しており、私にも「すぐ品切れになってしまい二刷りです」と送ってくれた。当時詩人は73歳、詩集としては7年ぶり8冊目だった。
 私がとくに共感したのは「時代おくれ」という詩だった。

  車がない
  ワープロがない
    ビデオデッキがない
    ファックスがない
    パソコン インターネット 見たこともない
    けれど格別支障もない

 詩はまだまだ続くのだけど、そしてこの原稿も横幕玲子さんにネット化(というのか)してもらっていて申し訳ないのだけれど、とにかくSNSとかスマホとか電気仕掛けのグッズに私は弱い。そもそもの始まりは息子の嫁さんのお父さんにパソコンを買ったのでワープロを使ってくださいと言われ、説明書に目を通したが、チンプンカンプン、大昔の中学の因数分解や物理がさっぱり解らなかったことまで思い出されていやになった。
 いまや新型コロナウイルスのおかげで仕事はすべてオンライン、テレワーク。TVの画面もずっと出演者の画面が切れ切れになっている。いま現役ならとっくにクビだ。某国総理大臣にいたっては、もう一か月も議会にも記者会見にも現れない。そのくせ気心のあった連中との会食などは毎日のようにやっており、家内がめしを作ってくれないんだよとぼやいているそうな。
 まったくコロナにはどんな手を打ったらよいのか、世界中が困っているのだから非難しようとも思わぬが、せめて何かやってるそぶりくらい見せてくれてもよい。コロナは歌舞伎町で遊んだ若者にはかぜ程度らしいが、91歳の超老人には致命的といわれるだけに毎日センセンキョウキョウとしています。
 茨木のり子さんは倚りかからずと言ったが、亡くなったのが79歳、愛する連れ合いに先立たれ独身生活を続けて最期は壮絶な孤独死だったらしい。
 私は正直言って、いまや何でもいいから倚りかかれるものが欲しい。少しでも生きのびてコロナの先行きを見てみたい。年とともに毅然としたところがなくなり、何かに倚りかかりたい。ああ情けない。

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