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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №32 [文芸美術の森]

第六章 個展の会場にて 3   

          早稲田大学名誉教授     川崎 浹

作品をめぐるトラブル

 独身の高島さんは、マネージャー役を果たしてくれる夫人や秘書がいないために、自分で作品の管理や売却交渉をしなければならなかった。こうした事務上の仕事が画家に多大なエネルギーを浪費させた。大内田さんは「高島さんは最初に自分で作品の値段をつけないので、後でいろいろ問題が生じたのです」と言っている。画廊の個展では価格がつけられたが、そうでない個人でのやりとりのときは、野十郎の過剰な潔癖さが価格をつけることの邪魔をした。かれにはかれなりの価格基準があり、それが一種のあうんの呼吸のようなもので、一般の絵の愛好者にとまどいを覚えさせた。
 画家は親戚の弁護士にこんな手紙を書いている。
 「ラスキンの芸術経済論では、芸術品の価格は材料費とそれを創る芸術家のモデレートな生活費との和であるべきで、作家自身が高価な価格や物価を望んだり要求すべきではないと言っています。江戸時代の美学者、安西雲煙は、画家は営利心があってはならない、弊衣粗食、ハダ着に出来たシラミを可愛がるようでなくてはならないと言っています」。
 モデレートとは適度に控えめな生活をした画家の生き方をよく示しているが、画室での高島さんは別にシラミがたかるような衣服はつけていなかった。風呂好きの清潔な人で、基本的にベジタリアンだった。
 その頃の私のポケット手帖に、ある画廊の住所とオーナーの名が記されている。仮営業所は中央区日本橋通りのワシントンビルと記されているが、「K画廊」そのものは現在の紀伊国屋書店の裏通りにあった。高島さんは画廊のオーナーに十数点の絵を預けていた。
 画家が見せてくれた「K画廊」の絵の価格表では、高島野十郎の値段は児島善三郎クラスになっていた。オーナーが当時としては野十郎の絵を破格に(正当にと言うべきか)高く評価していたことの証明書のようなものだが、オーナーが長期間絵を預かって連絡してこなければ、画家としては気にならざるをえない。
 私も証人として高島さんといっしょに新宿の画廊を訪れたが、オーナーは留守で、勢いをそがれてしまった。幸いその後高島さんの絵に不祥事は起こらなかったらしい。
 絵が戻ってこないというのは、個人が相手の場合もあった。高島さんが気にしている様子なので、私が自分から引きうけて、相手に直接電話した。語調もつよく「攻め」の姿勢ではなかったろうか。しかし、年輩のその人もえへらえへらと笑いながら、巧みに質問をかわすので、結局、返却のいとぐちを引きだせなかった。
 ある日、個展会場に私がぼんやり顔で詰めていると、高島さんが笑いながら私を隅につれて行き、絵に見入っているひとりの男性の背を目で指して、笑いながらひそひそ声で言った。「かれが、あんたの電話した相手だよ」。背広にネクタイのきちんとした紳士である。私は先日の自分の口調を想いだし、どんな笑顔で埋め合わせればよいのか。老成した紳士にはとても太刀打ちできない。ばつの悪い思いではやばやと会場を背にした。
 翌日、丸善画廊の下のレストランで高島さんをかこみ幾人かで食事をした。友人の分もあり私が立ってレジに足を運び、財布に手をかけると、あとからきた高島さんが低い声で言う。名せりふだった。
 「出過ぎたまねをするでない!」
 私もうすうす感じてはいた。なんといっても高島野十郎個展会場の牢名主(ろうなぬし)は野十郎である。絵も売れている。かれに「大盤振る舞い」の大役を演じてもらい、私の出る幕ではない。にもかかわらず…このように私はなにかと判断能力を欠いたキャラだったので、ある日、高島さんが超然とした表情ではあったが、私の書斎でこう言ったことがある。「あんたにはしょっちゅうむかっ腹をたてているよ」。思いもかけぬことで私は大笑いしたが、反省もした。

『過激な隠遁~高島野十郎評伝』 求龍社

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