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じゃがいもころんだⅡ №31 [文芸美術の森]

中村汀女とわたし 9

            エッセイスト  中村一枝

 若いころの汀女の美貌はそれこそ人目をうばうものであった。彼女に思いを寄せた熊本の男の子はきっと一人や二人ではなかっただろう。
  一方の汀女は若いころから特定の個人に入れあげたということはあまりなさそうなのだ。女学生の頃から図書館の本を借りあさって読んでいた汀女は、その名作の中の話には夢中になったが、それに自分を模すというタイプではなかった。
 汀女の夫になった中村重喜は、若い時からその優秀さで知られた男だった。写真を一度見ただけで、お互い、結婚に納得したというのも、その時代背景を知らない私たちには意外である。この中村重喜という人、見た目はお固くて、傍に寄り付くのも恐ろしいくらいに思っていたが、意外にさばけたところがあって、後年、次男の健治さんが結婚したとき、私が二人の新居に贈り物をしたいと言うと、すすんで手伝ってくれたことがある。英語がずば抜けてよくできた人だったというか、大蔵省の官僚というのはこういう人なのかと私はびっくりしてみていた。なかなかの人物だった。いわゆる今風に、好きとかいちゃいちゃと言う表現はないが、重喜氏と汀女は表に見せないところでしっかりと結びついた愛情関係があった気がする。
 汀女はそのころ、富本一枝と暮らしの手帖を通じて親しくなっていた。富本一枝は当時才女として知られていた女性である。
 あるとき、下北沢の台所でエビを鍋で煮ている汀女に出会った。台所など入ったことのない汀女がすすんでエビを煮ていたのには驚いたが、その日の来客予定の富本一枝のために一世一代の腕をふるっていたのだ。同性愛と言ってしまえばそれまでだが、男女関係には疎くとも、同性への思い入れはまた違った形で、汀女の中に花開いていたらしい。
 私が憶えている話の中でも、女子医大(当時汀女がよく通っていた)にとてもきれいな女の先生がいたらしい。汀女はその先生にすっかり夢中になっていて、何かと言えば女子医大と言っていた。
 男には惚れることなく女性に惚れるというのはその人の性向もあるだろうが、汀女の場合、女性同士という、一種の駆け込み寺的な安心感があったのではという気がする。汀女という人はもともと理性的傾向の強い人だから、まちがっても危ない橋は渡らない。男女関係のいざこざには巻き込まれたくないという自己保身もあったのではないか。
 若い時の彼女の行動を見ても、決して無茶や軽はずみな行動には出なかった。どこかしらに危なっかさも見せない、そう思えることが多々見受けられる。そのくらい汀女は自分をむきだしにしない人だったという気がしてならない。そういう彼女に俳句という表現はまさにぴったりだった。

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