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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №38 [文芸美術の森]

                     葛飾北斎≪富嶽三十六景≫シリーズ

         美術ジャーナリスト  斎藤陽一

              第4回 「神奈川沖浪裏」(「浪裏の富士」)

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≪自然のダイナミズム≫

 連作「富嶽三十六景」中の「三役」の3番目に紹介するのは、「神奈川沖浪裏」です、「浪裏の富士」とも言われ、海外では“Great Wave”という名で親しまれている作品です。

巨大な海の怪物のように円周を描いて盛り上がり、砕け散る大波・・・その下側のはるか彼方に、富士山が小さく静かなたたずまいを見せているという、大胆で斬新な構図は、一度見たら忘れられない衝撃力があり、印象派をはじめ西洋の芸術家にも大きな影響を与えました。

 絵を見ましょう。

 先ず私たちの目を引きつけるのは、右から左に大きなエネルギーを蓄えながら盛り上がり、その頂点に達して一気に砕け散る巨大な波でしょう。その下には、荒波に翻弄される三艘の小船が見える。盛り上がった大波からは、いくつもの白い飛沫がなだれ落ち、鋭い鷲の爪のように小船に襲いかかる・・・
38-2.jpg この船は「押し送り船」と呼ばれ、房総半島から江戸に鮮魚や野菜などを運ぶ船です。
船には船頭たちの姿も認められますが、彼らは荒波になすすべもなく魯を引き上げ、船の両端に身体を丸めて乗り出して、懸命にバランスを取っているかのよう・・・。
しかし、大自然の権化とも言える巨大な波のエネルギーに、ちっぽけな人間たちの力なぞとても対抗できるはずもなく、船頭たちはただ頭を垂れて祈っているようにも見えます。

 圧倒的な大波とちっぽけな人間たちとの対比という自然界のダイナミズムを、富士山が遠くで静かに見守っている・・・前回、“「凱風快晴」が「静」だとすれば、「山下白雨」は「動」という対比がこの2図には意図されている”と申し上げましたが、この絵では、一枚の中に、「静」(富士)と「動」(大波と人間たち)との対比が見てとれますね。

 さらに、大波が描く「大きな円」の中心点には、富士山が微動だにせずたたずむ、という構図も見られる。これにより、おのずから深い奥行きも生まれています。
このように見ると、前回、前々回に紹介した他の「二役」同様、この絵においても、凛として超越的な「霊峰富士」のイメージが巧みに表現されている、と言えます。
 

≪強い造形力と鮮やかな青≫

 もう少し、「構図」について着目してみましょう。

38-3.jpg 大きく盛り上がった波の手前に、やや小さく描かれた波頭の形を見てください。富士山の形によく似た三角形であることに気がつきます。そう、この波の形は、はるかな富士山の形の「相似形」として描かれているのです。
このことによって、画面には「反復」のリズムが生まれる。とともに、遠方の富士山でさえ波の一部のように錯覚させてしまう。これぞ“北斎マジック”ですね。
この絵は、北斎という画家の並外れた造形力を示していると同時に、日本の絵師には稀有な幾何学的構想力をも感じさせる作品です。
 
 「色彩」についても見てみましょう。

 この絵の色彩の主役は「青」と「白」、特にさまざまな諧調を見せる「青」でしょう。ことにこの絵の「藍色」は、見る者の目を奪う鮮やかな発色を示しています。
 実は、ここで使われている「藍色」は、日本製ではなく、西洋から舶来した化学染料なのです。もともとはプロシア王国の首都だったベルリンで開発された染料なので「ベルリン藍」と呼ばれましたが、江戸ではそれがなまって「ベロリン藍」となり、さらに短く「ベロ藍」と呼ばれるようになりました。

 それまでの日本絵画で多く用いられた青の染料は、青花、露草、蓼藍といった植物性のものであり、それらは、水にさらすと消えてしまったり、褪色しやすいという難点があります。
 ところが「ベロ藍」は、薄く用いても濃く用いても、鮮やかな色感が得られ、褪せにくいという特徴を持っています。
 「ベロ藍」に出会った北斎は、たちまちその魅力に惹きつけられ、「富嶽三十六景」に好んで使いました。先回紹介した「凱風快晴」も「山下白雨」も、ベロ藍の濃淡を巧みに使い分けていますが、ことに「神奈川沖浪裏」は、「ベロ藍」を最も効果的に使った一枚なのです。波に用いられた様々な藍色の濃淡を際立たせるために、北斎は、本来なら「青い空」に黄土色を使ったりしています。


≪「浪裏の富士」の衝撃力≫

 19世紀後半の西欧の芸術家に影響を与えた浮世絵師の中でも、最も大きな影響を与えたのは葛飾北斎でした。そして、北斎作品の中でも、印象派やアール・ヌーヴォーの芸術家たちに最も強烈な衝撃を与えたのが「神奈川沖浪裏」(「浪裏の富士」)でした。
 いくつかその例をご紹介しましょう。

38-4.jpg “印象主義の音楽家”とも呼ばれるクロード・ドビュッシーは、日本美術と出会い、その魅力に惹かれて日本美術の収集家になったフランスの作曲家です。
彼は「神奈川沖浪裏」を見て感銘を受け、そこからインスピレーションを得て、交響詩「海」を作曲したと言われています。さらに、この交響詩「海」の初版楽譜の表紙には「浪裏の富士」のデザインを用いています。

 また、印象派に先立って「レアリスム絵画」を標榜したクールベは、北斎の大波の力強さに衝撃を受け、海岸に押し寄せて砕け散る大きな波を正面からとらえるという、それまでの海洋画には見られない大胆な表現の作品「波」を生み出しました。

 「点描派」とも呼ばれる新印象派の画家スーラは、北斎の大波の迫力ある構図からヒントを得て、「オック岬」という作品を描き、鋭い先端を宙に突き出す巨大な岩を画面に大きくとらえ、岩の存在感を表現しています。

38-5.jpg 日本でも広く親しまれているゴッホは、浮世絵に出会ったことでその画風を一変させただけでなく、ついには、浮世絵に描かれた「光あふれる日本」に憧れ、南仏のアルルに移住してしまった画家です。
彼が、アルルにおけるゴーギャンとの共同生活が決裂した後に描いた「星月夜」は、その強い主観的表現により、20世紀表現主義絵画の先駆となりました。この絵のうねるような夜空の表現は、彼が衝撃を受けた北斎の「神奈川沖浪裏」のイメージが触媒になって生まれた、と言われています。

 次回は、連作「富嶽三十六景」から「東海道金谷ノ不二」を取り上げます。
                                                            

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