西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №37 [文芸美術の森]
葛飾北斎≪富嶽三十六景≫シリーズ
美術ジャーナリスト 斎藤陽一
美術ジャーナリスト 斎藤陽一
第3回 「山下白雨」(「黒富士」)
≪雷様を下に見る「黒富士」≫
前回、「富嶽三十六景」連作中のいわゆる「三役」のうち、「凱風快晴」(「赤富士」)を紹介しましたが、今回は「三役」の2番目として「山下白雨(さんかはくう)」を見たいと思います。この絵は「黒富士」(Black Fuji)という名称でも知られています。「白雨」とは「夕立」のことで、夏の季語です。
絵を見ましょう。
富士山頂にはまだ残雪が見られますが、その付近は明るく、青く晴れ渡った空には入道雲が湧き起こっています。
一方、中腹から下の山麓は、暗い闇に覆われ、そこには稲妻が光っています。山麓では激しい雨が降っており、盛んに雷が落ちているのでしょう。山麓を漆黒の闇に塗りこめ、下界の様子は見る者の想像に任せるという「黒」の鮮やかな視覚効果と暗示力、その見事さゆえ、この絵は「黒富士」とも呼ばれているのです。
富士山頂にはまだ残雪が見られますが、その付近は明るく、青く晴れ渡った空には入道雲が湧き起こっています。
一方、中腹から下の山麓は、暗い闇に覆われ、そこには稲妻が光っています。山麓では激しい雨が降っており、盛んに雷が落ちているのでしょう。山麓を漆黒の闇に塗りこめ、下界の様子は見る者の想像に任せるという「黒」の鮮やかな視覚効果と暗示力、その見事さゆえ、この絵は「黒富士」とも呼ばれているのです。
日本一高い山である富士山では、現実にも、山麓では激しい雷雨が発生していても、山頂は晴れ、という異なる気象状況が同時に起きることもあるようです。まさに唱歌「ふじの山」の歌詞「かみなりさまを下にきく ふじは日本一の山」の通りですね。
それにしても、富士山を描いた絵師は数多いる中で、【晴天と大雨】、【天上と地上】という相反する二つの要素を、富士の姿だけを媒体にしてひとつの画面に融合し、簡潔にして迫力ある絵画世界を生み出した北斎の構想力は見事です。
それにしても、富士山を描いた絵師は数多いる中で、【晴天と大雨】、【天上と地上】という相反する二つの要素を、富士の姿だけを媒体にしてひとつの画面に融合し、簡潔にして迫力ある絵画世界を生み出した北斎の構想力は見事です。
≪「赤富士」と「黒富士」を比較≫
「山下白雨」の富士のかたちと構図は、前回に見た「凱風快晴」のそれと酷似しており、北斎は「対の作品」として構想したのかも知れません。試みに二つの絵を並べてみましょう。
どちらも、画面に人間や暮らしの営みを描かず、富士そのものの雄姿をとらえたという点では、シリーズ中、数少ない作品に入ります。
そして、2点とも、山頂を画面の三分の一右側に配して、裾野を左右不均等に右に長く引っ張るように描くという構図も同じです。そして、季節はふたつとも「夏」という設定です。
しかし、よく見ると、北斎が微妙な描き分けをしていることに気が付きます。
まず時間設定としては、「凱風快晴」は「朝」(朝焼けの赤富士)、「山下白雨」は「夕方」(夕立)という違いがあります。
次に「雲」に注目すると、「凱風快晴」では、穏やかなそよ風に吹かれて鰯雲がゆったりと流れています。晴れやかで静かな雰囲気です。
一方、「山下白雨」では、むくむくと湧き起る雲が入道雲に変化し、それが山麓に激しい夕立をもたらしています。暗黒の闇をつらぬく稲妻も鋭く鋭角的で、画面全体から生動感が伝わります。
山頂の描き方についても、よく見れば、「山下白雨」のほうが鋭く尖っており、紙の上辺との距離も微妙に短い。あたかも上辺に突き刺さるかのような勢いを感じます。
まず時間設定としては、「凱風快晴」は「朝」(朝焼けの赤富士)、「山下白雨」は「夕方」(夕立)という違いがあります。
次に「雲」に注目すると、「凱風快晴」では、穏やかなそよ風に吹かれて鰯雲がゆったりと流れています。晴れやかで静かな雰囲気です。
一方、「山下白雨」では、むくむくと湧き起る雲が入道雲に変化し、それが山麓に激しい夕立をもたらしています。暗黒の闇をつらぬく稲妻も鋭く鋭角的で、画面全体から生動感が伝わります。
山頂の描き方についても、よく見れば、「山下白雨」のほうが鋭く尖っており、紙の上辺との距離も微妙に短い。あたかも上辺に突き刺さるかのような勢いを感じます。
このような描き分けによって、どちらも富士の姿だけを描いた作品ではありながら、「凱風快晴」が「静」とすれば、「山下白雨」は「動」、という対照性が演出されています。
この2点について、面白い見方をひとつご紹介しておきます。
浮世絵研究家の藤澤紫氏は、“「凱風快晴」のテーマは「風」-だとすればこの絵は「風神」を暗喩、一方「山下白雨」のテーマを「雷」とすれば、こちらの絵は「雷神」を暗示しており、すなわち二つの絵で「風神雷神」を見立てたもの、とも考えられる”という見方を示しています。
そう言えば、35歳で勝川派を去った直後の北斎は「二代目俵屋宗理」と名乗り、肉筆画に専念しています。このことを想起すると、“「凱風快晴」と「山下白雨」の二作品は、「風神雷神」を遺した俵屋宗達に対するオマージュ”と見る藤澤氏の見解はなかなか興味深いものがあります。
浮世絵研究家の藤澤紫氏は、“「凱風快晴」のテーマは「風」-だとすればこの絵は「風神」を暗喩、一方「山下白雨」のテーマを「雷」とすれば、こちらの絵は「雷神」を暗示しており、すなわち二つの絵で「風神雷神」を見立てたもの、とも考えられる”という見方を示しています。
そう言えば、35歳で勝川派を去った直後の北斎は「二代目俵屋宗理」と名乗り、肉筆画に専念しています。このことを想起すると、“「凱風快晴」と「山下白雨」の二作品は、「風神雷神」を遺した俵屋宗達に対するオマージュ”と見る藤澤氏の見解はなかなか興味深いものがあります。
≪「初摺」と「後摺」≫
浮世絵には、同じ作品なのに、色彩が異なっていたり、細部が違った描写になっていることがよくあります。なぜなのでしょうか?
「山下白雨」を例にとって見てみましょう。
「山下白雨」を例にとって見てみましょう。
上の図が最初に制作した作品で、これを「初摺(しょずり)」と言います。
木版画は、版を重ねるうちに、版木がすり減ったり欠損したりするなど、状態が悪くなります。
そこで、世間の評判が良いため新たに摺り増しをしようとする場合、版元の判断で、版木を彫り直したり、「初摺」にないものを付け加えたりすることがあります。このようにして摺り増した版を「後摺(あとずり)」と呼びます。時には、初摺の際の色彩まで変えられることがあり、そうなるとだいぶ印象が違ってしまいます。
そこで、世間の評判が良いため新たに摺り増しをしようとする場合、版元の判断で、版木を彫り直したり、「初摺」にないものを付け加えたりすることがあります。このようにして摺り増した版を「後摺(あとずり)」と呼びます。時には、初摺の際の色彩まで変えられることがあり、そうなるとだいぶ印象が違ってしまいます。
「山下白雨」の「後摺」版を見ると、版木を彫り直した際、山麓に松並木が加えられ、下部には海を想起させる青い色が刷かれています。空の青さや雲のかたちも異なっています。何よりも、「初摺」にある鮮烈な「黒」の印象が弱まり、当初の凛とした緊迫感が失われています。
「後摺」の段階になると、絵師の手を離れており、版元はおそらく「もっと分かりやすく、カラフルにすれば、さらに大衆に売れる」と判断したのかもしれません。
読者の皆さんは、どちらの方が好みですか?
現在、オークションなどで取引される場合、「後摺」よりも「初摺」のほうが市場価値は高いのが普通です。ご参考までに。
「後摺」の段階になると、絵師の手を離れており、版元はおそらく「もっと分かりやすく、カラフルにすれば、さらに大衆に売れる」と判断したのかもしれません。
読者の皆さんは、どちらの方が好みですか?
現在、オークションなどで取引される場合、「後摺」よりも「初摺」のほうが市場価値は高いのが普通です。ご参考までに。
次回は、「三役」の3番目の作品「神奈川沖浪裏」を紹介します。
2020-06-29 18:34
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