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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №36 [文芸美術の森]

                      葛飾北斎≪富嶽三十六景≫シリーズ

         美術ジャーナリスト  斎藤陽一

                    第2回 「凱風快晴」(「赤富士」)

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≪「富嶽三十六景」シリーズは、全部で何図?≫

 浮世絵版画の連作「富嶽三十六景」が刊行されたのは天保2年頃(1831年頃)とされています。北斎が71歳から72歳頃のことでした。
 「三十六景」にしようという最初の発想源は「三十六歌仙」にある、と言う人もいます。とは言え、のちに10図が追加されたので、全部で46図の連作となりました。浮世絵関係者の間では、最初の36図を「表富士」と呼び、あとから追加された10図を「裏富士」などと呼んだりしています。

 この連作の主旨は、“日本人の心の山”富士山を主役にして、そこに様々な地域の風物や人々の暮らしを織り込みながら、変化に富んだ風景として描き出す、というものでした。
 刊行されるや、当時、江戸で盛んだった「富士講」ブームと相まって、この連作は大変な評判をとり、ヒット作となりました。


≪簡潔にして品格ある「赤富士」≫

 「富嶽三十六景」の中でも、とりわけ傑作とされる三図は、浮世絵関係者の間で「三役」と呼ばれたりします。すなわち「凱風快晴」「山下白雨」「神奈川沖浪裏」の三図です。

 そこで、先ずは「三役」から順に紹介していくことにしますが、今回は、その中の「凱風快晴」を見ることにしましょう。この絵は、朝焼けに赤く染まる富士山を描いているため、「赤富士」(Red Fuji)の名称でも知られています。

 「凱風(がいふう)凱風」とは、初夏に吹く穏やかな南風のことで、“万物を養い育てるめでたい風”というような意味があります。
 また「赤富士」は、夏の早朝などに、朝日を受けて富士山の山肌が赤く染まる現象を言います。
 絵を見ましょう。
晴れ上がった青空をそよ風に乗ってゆっくりと流れる鰯雲、それを背景に、鮮やかな朱色に染まった富士山の姿は、凛として気品があり、まことに美しい。この晴れやかな気分こそ、まさに「凱風快晴」なのです。

  現実には、早朝、こんなに赤く染まる美しい赤富士を見ることはなかなか難しいそうです。北斎が実際に赤富士を見たかどうかも分からない。むしろ、日本人の心の中にある凛とした「聖なる富士」のイメージを北斎は絵画化したのだ、と考えていいでしょう。
  実際に北斎が見たのかどうか、どこから見た富士山か、などということにはあまり関係なく、「霊峰」富士のイメージを様々な絵画的世界として提示した・・・このことは連作「富嶽三十六景」のすべてを通して言えるのではないか、と思います。
 
 その中で、この「凱風快晴」という絵は、画面には人間の姿や暮らしの様子を一切描き込まず、堂々たる富士の姿だけを描き切る、という、連作中、数少ない一点です。

 造形的に見てみましょう。
 富士山頂を画面の右隅にかなり近いところ、つまり横幅全体の三分の一右側のところに設定、さらにその天辺を縦幅の上方、四分の一あたりの高みに置いて、そこから左に流れるように下る裾野の稜線を描いた構図には一分の隙もありません。その結果、簡潔にして力強く、緊張感ある造形となっています。
 また、富士の裾野を、画面に左右不均等に描く構図によって、変化と迫力も生まれていますね。
 例えば仮に、富士山頂をほんの少しだけ真ん中の方向にずらしてみても、「あ、ちょっと違う。画面の引き締まった感じが薄れるな」と思えるし、逆に、山頂をもう少し右端に近づけても「富士山の左に広がる空の空間が間延びした感じになるなぁ」という、まことに微妙で、隙のない構図なのです。山の天辺と紙の上辺との間隔も、同様に、絶妙です。

 ちなみに、西洋の古典主義美学の基本のひとつは「左右相称(シンメトリー)」です。「左右相称」は画面に安定と秩序をもたらす美意識であり、これは、調和のとれた「理想美」の追求を至上命題とする西洋古典主義の美学にかなうものでした。
一方、日本美術では、勿論、シンメトリーの美に対しては十分に敏感でありながら、しばしば「左右不相称(アンチ・シンメトリー)」を好むという美意識が見出されます。これは、“整い過ぎたものは面白みがない”という美意識であり、言い換えれば、「アンバランスの美学」とも言うべき美意識です。「安定をちょっと外したところ」に、何とも言えない興趣と生動感、緊張感などを感じとり、それを妙味として楽しむという感覚です。このことは、「琳派」の絵師たちを語った回でも、しばしば指摘してきました。

北斎の画業を通観すると、彼は、「左右相称」の美を充分に会得したうえで、これと併せて、「左右非相称」を融通無碍に使いこなした絵師であることが分かります。まことに北斎は、日本の絵師の中でも稀有な造形家であり、対象を幾何学的に把握する感性もまた抜群です。そのような特質が、いち早く西洋近代の芸術家の注目を浴びた所以でしょう。


≪絶妙な「ぼかし技法」≫

 色彩にも注目したい。この絵で使われている色彩は、富士山の「朱色」、快晴の空の「青」、樹海の「緑」というわずか3色です。しかし、たくさんの色を用いず、選ばれた三色だけの対比としたことが、かえって鮮やかですっきりとした視覚効果を生んでいます。

 とは言え、この絵には、「朱・青・緑」を単に平面的に塗るのではなく、それぞれの色に微妙な「ぼかし」が施されているのが見てとれます。それが、この絵にみずみずしい生気を与えています。たとえば、富士の姿を彩る「赤」には、上方から下方にかけて微妙なグラデーションがつけられていますね。空の「青」、樹海の「緑」も同様です。
 ここには、「あてなしぼかし」という木版画の摺りの技法が使われています。これは、ぼかしを入れる部分の版木の面に濡れ雑巾などで湿り気を与え、そこに絵具を垂らして刷毛でのばし、その上に和紙をあてて力加減を微妙に変えながら摺り上げる、という技法です。ムラなく、美しい諧調に摺り上げるには、摺師の高度な技術が必要とされます。

36-2.jpg 浮世絵師は、単品制作ともいうべき「肉筆画」も手がけましたが、多くは、大量生産を前提とした「版画」でした。
このような「浮世絵版画」というものは、プロデューサーである「版元」のもと、「絵師」と「彫師」と「摺師」との三者が、チームを組んで共同制作することによって生み出される作品です。
言うまでもなく、連作「富嶽三十六景」は多色摺りの「浮世絵版画」(錦絵)です。「絵師」「彫師」「摺師」、この三者の腕前が揃い、「三位一体」とも言うべき超絶技巧が発揮されて生まれた傑作シリーズなのです。
                                                              (終:次回に続く)


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