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いつか空が晴れる №84 [雑木林の四季]

     いつか空が晴れる
          -Alice In Wonderland-

                                  澁澤京子

 昔、風邪をひいて学校を休んでいた息子のために、買い物の帰りに蔦屋で人形劇の『アリス』と『ファウスト』のビデオを借りてきた。しかし、それは人形劇といってもチェコの前衛作家ヤン・シュヴァンクマイエルの人形劇だったのだ。
うーん、あんなに不気味な不思議の国のアリスも、閉塞感漂う絶望的なファウストも見たことがない・・どんなに迫力あったかというと、小学生の息子がその後岩波文庫の「ファウスト」を夢中になって読んだほど衝撃的な人形劇。

ディズニーの「不思議の国のアリス」をモーツアルトとすると、ヤン・シュヴァンクマイエルの「アリス」は、シェーンベルクか。予定調和というものがなく、人をいきなり不安のどん底に突き落とすようなそんな映画だった。しかし、私が子供の時読んだ「不思議の国のアリス」の挿絵が不気味で怖かったことを考えると、ヤン・シュヴァンクマイエルの人形劇のほうがルイス・キャロルの原作に雰囲気は近いのかもしれない。
子供の時好きだったのはチャペックの『長い長いお医者さんの話』でこれは何度も繰り返して読んだ。偉人伝とかは苦手だったし、正直な樵が金の斧を貰うといった教訓話も好きではなく、チャペックの童話のように(挿絵がすごく好きだった)、夜になるとなぜか郵便局員の仕事を妖精が手伝うとか、理由もなく夜の森で犬の天使が輪になって踊っているとか、起承転結のはっきりしないナンセンスな話が好きだった。

私が小さい時、毎晩寝る前に父と母が代わりばんこにお話しをしてくれた。父の話は「たん子ちゃんとぴよ子ちゃん」という、仲良しの二人の女の子のほのぼのとした日常の話だったけど、母の「緑のおじさん」という話は、スーツも帽子も靴も鞄も緑色の叔父さんが、アフリカとか南の島、世界中に神出鬼没に出現しては事件を起こすという冒険もので、私はその得体のしれない全身「緑のおじさん」がすごく怖くて、逆に興奮して目が冴えてしまって眠れなくなるのだった。(母は自分の創作が子供を怖がらせているとは知らず、愉快で面白い冒険談とはりきっていた)

よく「童心がある」と言うけど、童心というのは大人の考えるような調和して安定したきれいごとの世界ではなく、大人よりももっと不安定なものがごく身近に存在しているものだと思う。なぜなら子供というものは、まだ世界に慣れていないし、大人のように習慣によって鈍感にもなっていないからだ。そして子供は怖がりのくせに怖い話も好きなのだ。

ルイス・キャロルが、オックスフォード学長の三人の小さなお嬢さんたちのために語り聞かせた『不思議の国のアリス』も『鏡の国のアリス』も恐らく原文で読むとダジャレ満載で(翻訳で読んでいるので)、特にモデルになったアリス・リデルは、自分の身体が巨大になったり、縮小したり、首が蛇のように長くなったり、あるいはグロテスクな登場人物が出てくると怖さ半分もあって興奮してわくわくしたり、ナンセンスなダジャレが出てくると大喜びして笑うような女の子だったのだろう。

・・「なんでわたしだとよかったの?」とアリスは聞きました。「すごく下手な洒落じゃない。」蚊は深くため息をついただけで、ふた粒の大きな涙がその頬を転がり落ちました。・・
                      『鏡の国のアリス』

ルイス・キャロルの撮った写真で残っているおかっぱ頭のアリス・リデルは少女というよりは、ほっそりした少年にも見えるような中性的な女の子で、そのいたずらっ子みたいな目付きはいかにもこういった生意気なことを言いそうなのである。おそらく、童心の残るルイス・キャロルとは対等な関係だったのだ。

・・日が過ぎようと、夏が去ろうと、夢を見る
  流浪して  黄金の輝きにたゆたう  人生はそも、夢なのだから・・ 
                          『鏡の国のアリス』

巻頭と巻末に載っているルイス・キャロルの詩を読むと、これは一種の恋愛だったのだな、と思う。ルイス・キャロルのような繊細な詩人にとっては、社交界での俗っぽい退屈な会話よりも、子供たちと過ごすほうがずっと楽しかったのだろうし、そもそも恋愛というものには二人で童心に帰るようなところがある。そして恋愛というものが最初から脆さとはかなさを秘めているのも、童心の持つ不安定な性格ゆえなのかもしれない。

ディズニーの名曲、「Alice In Wonderland」はやはりビル・エヴァンスのピアノが好きだ。ビル・エヴァンスの脆い感じが、ルイス・キャロルの美しい詩にとてもあっている。
それにしても私の周囲で、いまだに純真で童心が残っているというと、男の人が多いような気がするのは、男の人のほうが女よりずっとその存在が不安定なせいだろうか?


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