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梟翁夜話 №64 [雑木林の四季]

ギターの話(上)

               翻訳家  島村泰治

年明け辺りからギターを触るやうになった。折柄ちらほら聞かれたコロナも、まだ三密がだうのほどの縛りがなかったから、そのせいではなく、左手の中指に異常を覚へたことがきっかけだった。第二関節が引っ掛かると云ふ未曾有の現象で、運指の要の指を壊しては牽けなくなるとの危機感から、もう何年も触ってゐなかったギターを取りだしたのである。

ギターとの付き合ひは長い。十代の半ば、映画「第三の男」のテーマをギターでフィーチュアしたのを聴いて痛く気に入り、なけなしの小遣ひで買ったテルツギターが手始めである。そこからクラシックギターにのめり込み、少しましなヤマハの楽器に替へて人並みにカルカッシで独学を始めた。このヤマハ、フレットの切れが粗悪で、どう調弦しても10ポジ辺りで半音はずれると云ふ代物だった。後年アメリカ留学に携行して往生した話は後段に譲る。

話を中指のことに戻さう。ギターと云ふ楽器は六弦で、左手は親指を除く四指で弾く。カルカッシも半ばを過ぎると指遣いが要になり、中指が故障してはだうにもならない。その指がこつんこつんと引っ掛かるやうになって、これでギターとお別れかと断念仕掛けて考えた。リハビリではないが、ここ一番、集注して鍛へて駄目なら諦めることに、と、久し振りに愛器をケースから取りだした。

この楽器は著名な河野さんの初期の作品で、前述のヤマハに懲りて日本から取り寄せた曰く付きのものだ。河野さんもアメリカに送ることに意義を覚へられたか、念入りに造ってくれた逸品である。ハウザーのやうなホール向けの音量はないが、そもそも室内楽向けのしっとりした音質が素晴らしい楽器だ。弦を新調せねば、とその日は楽器を拭って元に戻した。

数日後、弦を張り替へたコウノは久し振りの手触りが新鮮だった。抱えたときのずっしり感がこの楽器の魅力だ。その日に備えて自製しておいたスツールがやや高め、やむなく本来のものに替えクッションを入れて座高を調整する。この辺り、久し振りのことで余程神経を遣う。音叉での調弦、他人様はあまりされない四度の調弦だ。五弦を決め六弦を四度下に、四弦を四度上に合わせる。四度と五度は完全音程で揺れがぴたりと止まれば調弦は完全だ。三弦は四弦の四度上に合わせる。この三弦の調弦が命取りで、粗雑にするとその日の演奏を台無しにする。一弦と二弦はそれぞれ四、五弦から五度とユニゾンに合わせて調弦を終へる。

調弦といえば、リュートのそれを思ひ出す。弾くことはないが、リューティストが調弦に苦労する様子を見たことがある。旋律弦、複弦合わせて一五本もの弦をときに二時間も掛けて調弦する。多弦楽器は罪作りだ。

話が横道に逸れたが、心配尽くしの久し振りのギターはさの通り、落胆落胆の連続だった。開いた楽譜はジュリアーニの「右手のための練習曲」、かつては先ず開いて指馴らしに五分で上げる楽譜だ。ところが、右の指たちがまったく云ふことを聴かない。例の左の中指の懸念は愚か、右の弾き指が空を掻いて音にならない。楽音には到底なっていないのだ。

啄木ではないがじっと手を見る。指をしげしげと眺めて吐息。だうやら爪の状態も悪い。手首を振って柔軟を確かめる。もう一度、第一番を二三小節弾いてみる。かりかりと爪だけが掠る。これはいけない。どうやらギターにおさらばという過剰心理も働いて、とても「弾く」境地にはなれない。

かうして、ギター復活の初日は惨憺の内に暮れた。爪を作り直して出直さう。そう観念して、コウノをケースに収め、待っていろよと云ひ含めた。(下へ続く)


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