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バルタンの呟き №71 [雑木林の四季]

「2020年の挑戦」

              映画監督  飯島敏宏

 「ウルトラ」シリーズファンの方は、すぐにお分かりですが、今から54年前、円谷特技プロダクションで、金城哲夫・千束北男脚本で僕が監督したテレビ映画「ウルトラQ」第37話のタイトルです。あの作品を創った頃(西暦1966)2020年といえば、遠い遠い未来でした。正直のところ、僕自身、その場にいるなどと、考えもしなかったのです。
 「ウルトラQ第37話・2020年の挑戦・ケムール人登場」の内容は、西暦2020年の地球を模した「ケムール星」から、制作当時の近未来として設定した西暦1970年初頭の地球に、しばしばケムール人がやってきて、健全な肉体を持つ地球人をケムール星に拉致して、公害その他の環境破壊で疲弊し切って醜怪な姿となった自分たちの生命を、その美しく健全な人類の肉体に憑依しようとしていた、というエピソードでした。
 西暦1960年代末の番組制作当時の日本の、高度成長一本やりで突き進む自然環境破壊の生産活動がもたらした公害問題を告発するメッセージを込めたつもりでした。
 毎週日曜日の午後7時30分、TBSテレビからオンエアされた当時は、経済成長と併せて開催を目指していた東京オリンピックの整備のためにと、列島改造を唱えて、京阪などの主要都市ばかりでなく、全列島の山林、原野、農地や海辺の自然環境を破壊し、石炭、石油を原材とした化学物質を量産、空気を汚染し、オゾン層を希薄化していたのです。
 その結果、公害という言葉が、新聞紙面、ラジオ、テレビ放送にしきりに登場して、さらに、スモーク(煙)とフォグ(霧)を併せた(スモッグ)という合成語で表された、重苦しく空を覆う大気を透して、太陽からの光線がオゾン層で和らげられることなく地上に降り注ぐ、光化学スモッグや、河川の汚染など、目に見える公害が問題化していました。特殊美術担当の成田亨さんの醜怪なケムール人のデザインが、テレビの前の子供たちの脳裡に、深く刻み込まれたものです。
 しかし、その告発もものかわ、その後の50年余りの間に、地球人類は、石油合成化学から自然回帰不能の膨大なプラスチック製品などを生み出し、産業廃棄物が海洋を汚染して、地上の動植物ばかりでなく、海洋のそれらをも生存の危機に追い込んだ上に、原子核に手を染めて、許されざる破壊と収束の当てのないエネルギーを求めて、造物主禁断のパンドラの箱を開けてしまったのです。

 そして今、現実に僕たちにその西暦2020年が訪れてみると、地球人類は、制作当時僕たちが未来地球の仮想としてケムール星に想像した悲惨を遥かに超えた状況に遭遇することになってしまいました。
 飽くことを忘れて推進し続けた過剰な経済活動が、自然破壊の速度を急激に亢進した結果、地球気候の激変、災害の発生を招いたばかりでなく、無制御に増長し続ける経済格差が、人類自身の消耗につながる果てしない戦争を世界各地に生み、自国主張の歪んだグローバル化が、遂に、究極の報酬として齎したのが、現在全地球的に頒布された、人類にパラサイト(寄生)しようとする新型コロナウイルスなのではないでしょうか。
 covid-19と名付けられた、この得体の知れない生命体を、人類自身が、蝙蝠から寄生していた中間宿主から摂取して、グローバリズムという人類自身が地球上に生み出した機構で、全世界に運びまわして、人類自身を、滅亡の恐怖と混迷に陥れる状態を生み出してしまったのです。令和の西暦2020年は、54年前に昭和の僕たちが仮想した西暦2020年のケムール人の脅威では到底及びもつかない相手の挑戦を受けることになってしまったのです。
 果たして、かつての恐竜と同じ末路を迎えるのか・・・

 「来夏までには、コロナウイルスとの闘いに勝ちぬいて、完全完璧なTOKYOオリンピック・パラリンピックを迎えようではありませんか!」
 テレビからは、安倍総理の高らかな声明が聞こえてきます。
 しかし僕には、新型コロナウイルスの挑戦に、延期か中止かと追い込まれてしまった2020TOKYOオリンピック・パラリンピックのあのシンボルマークが、おなじようにそもそもの存在の根源である太陽のコロナにヒントを得ているせいか、だんだん新型コロナウイルスに似て見えてくるようになってしまったのです。
 しかも、その上に、このところ鳴りを潜めていた地震が、その存在を主張するかのように、ここ数日、頻発し始めていることにお気づきでしょうか。
 人類の未来を、自らの叡知を誇るAIとの競合に関心を向けていた隙に躍り出た新型コロナウイルスという強豪の挑戦に、たじたじと追い詰められているのです。
 そもそもの根源に立ち返って考えてみますと、僅か30何万年前に現れたに過ぎない人類が、地球が人類の占有であるかのように錯覚してしまったことにあるのではないかと思うのです。つまり、人類の方から、コロナウイルスとの共存を考えなくてはならないのです。地球は、人類だけのものではないのです。
 Social distance(社交的な距離)。新型コロナウイルスに、他のウイルス抑制のために膨大に備蓄した確実性のない薬物で蟷螂之斧をかざして闘争を挑むよりも、感染しながらも症状のない、あるいは軽い自らを中間宿主にして、人類が抗体を持つ従来のウイルスと等しく共存を図る策が、功を奏しつつあるといいます。コロナウイルスは、寄生した相手を殺して、おのれも自滅してしまうほど愚かな生命体ではなく、抗体をゲートにして、お互いが共存できる頃合いの毒性に順化してゆく・・・
 「おお、いいかも知れない!」
 一筋の光明が見えた、と、さらにKEYを打ち続けようと僕、バルタンが意気込んだ矢先でした。
 「ああ・・・・」
 目に飛び込んできたのは、テレビの、Uチューブに公開されたという映像です。官房長官もその効果を誇る映像までが加えられて執拗に流されているのです。
 その先頭に立とうという宰相が、豪華な居室の安楽なソファに脚を組んで、某ミュージシャンの客に合わせて愛らしきワンちゃんを抱く映像と、「最低限七割の・・・」と甲高く唱える音声が、ホームワーク、ホームタスクに励むパパ、三度三度の食事やフルタイムの家事に苦しむママ、学友とも会えない子供たち、囲碁、将棋、麻雀、カラオケなどなどを禁じて蟄居するシニアなどの神経を逆なでするともしらぬ庶民感覚の無さ・・・
僕の呟きも、ここまででKEYを擱ります・・・嗚呼


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