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浜田山通信 №263 [雑木林の四季]

二人の死について

               ジャーナリスト  野村須美

 「新型コロナウイルスは自然=神の怒り」と書いたが、もうそんな他人事を言っている段階ではなくなった。おそまきの政府の緊急事態宣言で東京、大阪など7都道府県の盛り場から人影は消え、都心のオフィス街もテレワークなどで閑散としている。なにしろ「濃厚接触」を避けねばならぬので、知り合いとあいさつするのも2メートルほど間隔をとらねばならない。いっそのことヨーロッパのように都市封鎖をして食料、薬品の買い物以外外出禁止にしてしまえばよいのにと思うが、まだそこまでは行っていないと判断しているのか。政府というより権力者のやることは、いつでも後手後手で事態を悪化させる。検査体制ができていないので4日間37.5度以上の高熱がつづいたら保健所がPCR検査をするなど、最初から医療崩壊というより新型コロナ対策などなかった。まともな検査をしていないのだから患者数など極めて少数しか上がってこなかった。都発表の感染者数も実数よりずっと少ないはずだ。
 政治全体があったことをなかったことにする方式でアベノミクスもモリトモ問題もサクラ関連もすべてごまかしだ。韓国や中国のコロナ対策についてはさんざんケチをつける一方、いまや世界一の患者、死者数のアメリカについては何も言わない。信頼できる米ジョンズ・ホプキンズ大学の集計や毎日のようにTVに現れるニューヨーク州知事アンドリュー・クオモ氏の大活躍ぶりで実情を知るだけだ。ニューヨークでは医療崩壊が早くから現われ、人工呼吸器、集中治療室も全然足りなく、死者の火葬場も間に合わず、冷凍車の行列ができるのをTVで見た。トランプはイースターまでにはなんとかなると言ってのち訂正したが、いまやアメリカの患者数は55万7千人、死者数2万1千人といずれも世界最高だ。ちなみに4月12日現在、世界中の患者数185万、死者数11万人超。まさしくパンデミックそのものだ。
 この間私は不安な心を落ち着かせるため今福竜太さんの「宮沢賢治デクノボーの叡智」を読んでいた。「土偶坊 ワレワレハコウイフモノニナリタイ」という惹句にひかれたからだ。今福さんは私の恩師戸井田道三先生のお宅に子どもの頃から母親に連れられて通っていて、文化人類学に興味を抱き、中南米、カリブ海でフィールド・ワークを続け、「クレオール主義」「群島-世界論」「ハーフ・ブリード」「ヘンリー・ソロー 野性の学舎」など力作を発表した。たまたまこの本の中に1922年11月27日、賢治が最愛の妹トシ子を亡くしたその日に書かれ「修羅と春」に収録された挽歌2篇などが掲載されていたのだが、これが私の胸をついた。そして連想が3月29日コロナで死んだ志村けんにとんだ。彼は70歳、「功なり名遂げて身退くは天の道なり」というものの今は70歳では若すぎる。というより彼のコロナ診断が決まってからわずかに1週間、肉親にも会えず、火葬場へ直行、兄さんが会ったのは骨壺に入ったあとだった。残酷なのはコロナなのか人間なのか。

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